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Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月19日(金)23時36分47秒
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  > No.1287[元記事へ]

多度山中の磐座 まだ行けてないんですよ~
ここ3年近く、北部九州に翻弄され続けているんです…地図上のことですが…

東西関係にあるのは多賀大社の社殿です。

別宮一目連神社 → 高座結御子神社 89.95° 距離 25.647km 真東との誤差22m
本宮多賀神社  → 高座結御子神社 89.93° 距離 25.675km 真東との誤差31m

高座結御子神社 → 別宮一目連神社 270.11° 距離 25.647km 真西との誤差49m
高座結御子神社 → 本宮多賀神社  270.09° 距離 25.675km 真西との誤差40m

お互いに直接見ることはできません。


 
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月19日(金)00時26分43秒
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  > No.1286[元記事へ]

多度大社との東西関係、高座結御子神社からだと多度山中の磐座と良い感じになれそうですか。

高座結御子神社の大磐石は誰も見たことがないようなので、伝承上の脚色か、はたまた、社殿の内に秘匿されているか。
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月17日(水)00時37分18秒
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  > No.1285[元記事へ]

MURYさん、ありがとうございました。見てみました!
「熱田神宮古墳」は熱田神宮社殿のほぼ真後になると思います。
もともとはここを祀っていたんだよ…というような位置になるんですけど…
でも、毎年5月の御陵墓祭でお祀りするのは断夫山古墳と白鳥古墳なんです。
それに、あんなに真ん中に大きな通路を造っちゃったら、全部発掘されちゃうと思うんだけど…
そのあたりがやっぱり、謎になると思いました。

> 熱田神宮の奥の院といわれる高座結御子神社にも古墳群が分布しているのが興味深い。ここに大磐石があるという話も聞きましたが・・・。

高座結御子神社は何年か前に一度訪れたことがあります。古墳らしき高まりがたくさんあったと記憶しています。熱田神宮古墳に似てたと思います。一連と考えるのがいいかもしれません。
大きな石は見なかったと思います。今度訪れたら探してみますね!
またしても書いてしまうんですが、多度神社と明確な(例によってわたし的にはなんですが…)東西関係があると思います!
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月15日(月)12時31分56秒
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  > No.1284[元記事へ]

リンク先のページを見ました。よく見つけましたね。

河村硝子の設計の方が主導したのか、熱田神宮側の意向を受けて取り入れたのか、どちらとも読み取れます。

現代風の庭園と考えれば、石を立てる発想も受け入れられます。
人工の木(神楽殿)と自然の木(社叢)の間に横たわる垣根をつないだのが石の塀だったというのは、社殿建築の石の玉垣の現代版解釈とも言えそうです。
その源流は、庭園の中での石の位置付けが、人工的に自然を表現するものだったことに由来していると考えれば、この建築物の融合性の根拠は相当趣深いです。

>古墳のような土盛がありました。中心部への通路があったようなのですが、暗くて写真撮ってないです!
>新しい通路だったので、防空壕なのかなぁ…真清田神社のうしろ側の土壇を連想しました!

チェリーさんドンピシャです。
リンク先をご覧ください。
https://ameblo.jp/sunhideshi/entry-12261640499.html

私は熱田神宮に詳しくないですが、ここが古代において島のようになっていた場所で、古墳がある地理的環境であることは事実です。
熱田神宮の奥の院といわれる高座結御子神社にも古墳群が分布しているのが興味深い。ここに大磐石があるという話も聞きましたが・・・。
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月10日(水)22時43分45秒
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  > No.1283[元記事へ]

河村硝子株式会社の実績紹介のページに内側から見た写真がありました。
http://www.kawamura-glass.jp/results.html
自然との調和を目指したデザインなのかな?でも、岩を立て掛けるというのは、やはり異様ですよね…
はっきりした意図があるような…神楽殿の裏ではあるのですが、ここは境内社の密集地帯なんです。
「こころの小径」は、皆さんお目当ての一之御前神社から神宮本殿のうしろ側をめぐるのですが、古墳のような土盛がありました。中心部への通路があったようなのですが、暗くて写真撮ってないです!
新しい通路だったので、防空壕なのかなぁ…真清田神社のうしろ側の土壇を連想しました!
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月 7日(日)08時08分11秒
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  > No.1282[元記事へ]

溢れ出る五平餅感・・・。
インスタ映えしますね(謎)

この石の意味を検索してみましたが、なかなかそれらしき情報に出会いません。

石もどことなく扁平になるよう整形されているように見えます。
力学的な理由によるものなのか、デザイン面での調和を目指したのか?

わたしも熱田神宮に久々に参拝したくなりました。
神社の方に聞いてみたいです。
おもしろいものをありがとうございます。
 

熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月 2日(火)23時56分51秒
返信・引用
  石垣ではないのですが、これはどういう発想なんでしょう?
熱田神宮のうしろ側を巡る「こころの小径」を初めて歩いたのですが、真新しい「神楽殿」の裏側を覗いた時の写真です。
この部分は、自然の樹木を取り込んだ前衛的な建築になっているようですが、岩を立て掛けるなんて初めて見ました。この岩の並びの奥に、自立した岩があるようなのですが、今度はしっかりと撮影してこようと思います。
先日、高句麗の将軍塚の写真を初めて見て、仰天したのですが、同じ発想かも!
 

Re: 須須岐水神社

 投稿者:MURY  投稿日:2018年 9月23日(日)22時05分10秒
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  > No.1280[元記事へ]

森将軍塚古墳の近くなんですね。古墳は15年ほど前に行きました。
名前を見て、ふと当時を思い出しました。懐かしい。

小牧山の石垣のように、山の古墳の葺石も、そういう「見せる意図」をもって築かれたのではないかという説は、考古学の研究の中でも見たことがありますね。
なかなか証明しにくいんですけどね。
 

須須岐水神社

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年 9月23日(日)01時09分5秒
返信・引用
  間が空いてしまいましたが、須須岐水神社(千曲市)の続きです。
本殿のすぐ脇に「烏帽子岩」がありました。
岩の左側の看板には、次のように書かれています。
「烏帽子岩 当社社殿が創建される以前、そこに神を招いて祭祀を行った石(磐座)と考えられる。一般には降臨石、影向石などと言われている。」
周辺のお宮のことは全くわからないのですが、この神社は石を大切にしているんだなぁ…と思いました。

須須岐水神社は「五里ヶ峯」という長い尾根が尽きた平地にあるのですが、やはり尾根の先端近くの中腹に「森将軍塚古墳」があります(下の写真)。直接の岩石祭祀にはならないと思いますが、石に覆われたこの古墳は、遠くからも光輝いて見えたと思います。麓の古墳館に再現された石室があったのですが、実に巨大なものでした。石への強い思い入れを感じました。
信長が小牧山の頂上に築いた城が、日本最初の本格的な石垣を持った城郭なのだそうですが、同じように「光る石垣」を周辺に見せる為という説を記憶しています。

 

Re: 須須岐水神社の境内社

 投稿者:MURY  投稿日:2018年 9月 9日(日)01時42分22秒
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  > No.1278[元記事へ]

こんにちは。お返事が遅くなりすみませんでした。

チェリーさんも継続的に調査されているようでうれしく思います。

お写真を拝見しました。

このような岩は大好物です。
境内にこんなに集結して、ぜいたく盛りです。

他の場所でも分散して見られるものなのか、ここだけの"珍現象"なのか・・・

玄松子さんの執筆された神社ページが多岐にわたり、すべてに目を通すことは能わずですが、一つ一つを見るとこのように私にとっても新発見の連続なのでしょうね。
 

須須岐水神社の境内社

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年 9月 5日(水)22時54分16秒
返信・引用
  随分と御無沙汰してしまいました。MURYさん、お元気そうで何よりです。

この夏、長野県千曲市にある「須須岐水神社(すすきみずじんじゃ)」に偶然立ち寄りました。
写真はその境内社です。社殿が岩の上に乗っかっているのです。

玄松子さんのサイトが詳しかったのですが(玄松子の記憶 須須岐水神社)、その中で「移動自由の置く形が本来の社殿の姿なのだ」と書かれていました。
なるほど!!深く感じ入りました!

写真は上から「祝神社」「養蚕神社」「高見社」です。

 

Re: 難転石

 投稿者:MURY  投稿日:2018年 7月15日(日)22時03分42秒
返信・引用
  > No.1276[元記事へ]

情報ご提供ありがとうございます。

おもしろいですね~
高速回転しているらしいじゃないですか。
実際に見てみたいです。

石も2個あって、色がそれぞれ違うのも人に当たる影響が違うのではと、石の観点からは心に留めたい事実です。
 

難転石

 投稿者:uzi  投稿日:2018年 7月15日(日)07時17分17秒
返信・引用
  JR大阪駅から少し歩いた所にあるお初天神(露天神社)にありました。
ボーリングの玉位あろうかと思われる大きさです。
水圧で浮き上がって回転しています。
歴史もアイデアも新しいものと思われます。

http://www.geocities.jp/miniuzi0502/index.html

 

Re: 六甲山の岩石祭祀

 投稿者:MURY  投稿日:2018年 6月14日(木)20時27分40秒
返信・引用
  > No.1274[元記事へ]

発刊おめでとうございます。

「岩のもつ多面的な姿」という視点は、岩石が祭祀・信仰にとどまらないということだと思います。
生活全般の中での山や石を掘り下げることで、一般的な「イワクラ」に収まらない岩論を提示されたのだと拝察します。

石工など、石材を生業とされている方々にも広く読まれたい内容ですね。

六甲山系には数々の文脈による人間の痕跡が残っていますので、ひとつひとつを浮き彫りにするのは、大変な作業ではないかと思います。
 

六甲山の岩石祭祀

 投稿者:yamauo  投稿日:2018年 6月11日(月)08時33分27秒
返信・引用
  お久しぶりです。
このたび創元社より『六甲岩めぐりハイキング』と題する本を刊行いたしました。
書名はハイキングとなっておりますが、本書の目的は岩を単に登山とのかかわりの中で見るのではなく、岩のもつ多面的な姿を六甲山という里山を舞台にして明らかにすることにあります。紙面の関係上、どれもほんの一部の紹介にとどまっていますが、六甲山の登山史、地質、地誌、徳川採石場、山論、伝承、磐座、雨乞い、修験など、岩にまつわる様々なエピソードに触れております。
岩石祭祀については、
保久良神社の磐座(祭祀遺跡・樋口清之)
越木岩神社と北山の磐座群(三輪山・大国主西神社)
芦屋川の弁天岩(雨乞い・『磐座紀行』藤本浩一)
北山の夫婦岩(たたり石・『磐座紀行』藤本浩一)
摩耶山頂の天狗岩(六甲修験道・天上寺)
六甲山頂付近の雲が岩(六甲修験道・多聞寺)
六甲山頂付近の三国岩(六甲修験道・山論)
石の宝殿の磐座(六甲修験道・広田神社・雨乞い)
石楠花山の天狗岩(六甲修験道)
ごろごろ岳の剣岩(古神道・荒深道斉)
古寺山の修行岩(多聞寺・平清盛)
船坂谷の老ヶ石(たたり石)などを紹介しております。

https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=3852

 

平成三十年年頭挨拶

 投稿者:MURY  投稿日:2018年 1月 4日(木)20時10分2秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。

今年も、石の知の底上げに寄与したいと、日々勉強してまいります。
 

(無題)

 投稿者:uzi  投稿日:2018年 1月 2日(火)21時33分49秒
返信・引用
  あけまして おめでとうございます
本年もよろしくお願い致します

画像は、
墨坂神社でお祀りされていた石です。
 

美の呪力

 投稿者:MURY  投稿日:2017年 7月 4日(火)01時53分8秒
返信・引用
  wikipedia情報で見たレベルですが、2007年に作られたイヌクシュクがギネス記録の高さを持つと書いてあったので、今も現地の人々に作られ続けているものと思っていましたが、基本は途絶えている文化だったんですね。

これもwikipediaの記述ですが

――イヌクシュクの発達が、ヨーロッパの宣教師や探検家出現の以前だったのか以後だったのかについては説が分かれる

エヌクソ・ポイントのあるバフィン島と聞くと、19世紀のジョン・フランクリン隊の失踪事件を思い出します。一時期関心を持った歴史上の出来事です。

フランクリン隊はイヌクシュクを見たのでしょうか・・・。
 

美の呪力

 投稿者:uzi  投稿日:2017年 7月 2日(日)21時48分30秒
返信・引用
  イヌクシュクは、「美の呪力」によると「七、八十年前までエスキモーによって作られていた」そうですが、その目的が現在でははっきりと解らないようです。岡本太郎さんが亡くなられて20年以上経過しておりますし、本のあとがきの日付が「1971年3月」となっています。
「エヌクソ・ポイントと呼ばれる岬には今でも百以上のイヌクシュクが見られるが、ある時期には二百をこえていたという。」
「これがたとえ明らさまな人形【ひとがた】ではなくても、生活の中の神聖な像であり、呪術的役割を果たしていることは確かである。」
「昔はエスキモーの集落はキャンプを張ると必ず近くの丘に一つのイヌクシュクを建てたという伝えもある。」
「一族がながい危険な旅に出るときにも、イヌクシュクを建てたという。」
土地の言葉で「イヌクシュク」は、「人間的力で行為するもの」という意味だそうです。
「」内は「美の呪力」からの抜粋です。

http://www.geocities.jp/miniuzi0502/

 

Re: イヌクシュク

 投稿者:MURY  投稿日:2017年 7月 2日(日)15時36分50秒
返信・引用
  > No.1268[元記事へ]

燃え盛る炎のような背景を見て、岡本太郎氏が縄文の火焔形土器を見てインスピレーションを受けたという話を思い出しました。

子供の頃、私も油絵を描いていたころがあるのですが、石を油絵で表現する一種独特の難しさを感じたことがあります。

石を描きたいし、イメージは頭にあるのに、キャンパスで色を載せていくと、表現できない。

単に、才能の問題とも言いますね(笑)

> イヌクシュクは、2010年バンクーバーオリンピックのシンボルにもなったそうです。

ケルンのようなものだと思っていましたが、どうやら意図が違うようですね。

現代でも作られ続けている巨石記念物、といったところでしょうか。
 

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