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Re: 生島足島神社

 投稿者:MURY  投稿日:2018年11月27日(火)00時07分48秒
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  > No.1298[元記事へ]

チェリーさんこんにちは。

> 本社の前に、すごくきれいな「磐座磐境」がありました。磐座か磐境かどっちなんだろう…

このネーミングに聞き覚えがあり、この掲示板の過去を探ってみたところ、2007.10.29にkunittiさんが投稿された記事に同じ石の写真がありました。
kunittiさんがupされた写真をここに再掲載します。

こう見ると、10年前は白い玉砂利を周囲に敷かず、土のままにしていたことが分かります。
他社でも、ここ最近は霊石の周りに玉砂利を敷くところを見かけました。
姫路城が回収されて白くなった時の気持ちに似ています。

磐座磐境については、磐座でもあり磐境でもあるよという意味での標示かと思います。
これには二つの場合があります。

1.磐座と磐境の用語は同義(辞典的定義)という意味合いで書いている。
2.磐境の役割もあり、磐座の役割も帯びているという意味合いで書いている。

チェリーさんが挙げられたもう一つの写真の、祠の後ろの列石は磐境感ありますね。
 
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2018年11月25日(日)20時11分17秒
返信・引用
  > No.1297[元記事へ]

チェリーさん

こんばんは。

お手数おかけします。嶋戸物部は多分瀬戸内海を通り、紀伊半島をぐるっと回って伊勢湾に入り、高座結御子神社鎮座地に至ったのではないかと推定しています。これがご参考になればいいのですが……。
 

生島足島神社

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年11月24日(土)01時45分3秒
返信・引用
  長野県上田市下之郷に鎮座します。
本社(上宮)は池の中にあって、生島大神・足島大神を祀ります。すぐ北側に下宮があって、諏訪神社です。
本社の前に、すごくきれいな「磐座磐境」がありました。磐座か磐境かどっちなんだろう…
本社から南西側の池をまたいだところに「御歳代(みとしろ)」があって、稲が植えてありました。建御名方命が二神に米粥を煮て献ぜられたという伝承があるのだそうです。
ここにも岩が祀られていました。これは磐境だと思います。
赤いお社は「御歳代御仮殿」だそうです。

諏訪大社との御縁ということになるのでしょうか、ここは諏訪大社上社 御射山神社(長野県諏訪郡富士見町原村)の真北になるのです!(お互いの境内の南北関係であれば、全くズレがないという…)
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年11月24日(土)00時50分8秒
返信・引用
  > No.1293[元記事へ]

酔石亭主さん、こんばんは。

> チェリーさんの得意分野で高座結御子神社と嶋戸(遠賀川の河口近くで、遠賀町島津)を結べないでしょうか?

遠賀町島津には島津丸山古墳というポイントがあるのですが、残念ながら高座結御子神社とつなぐラインは見つかっていません。距離が長いので、もちろん直接という訳にはいかないのですが、中継するラインもまだ見つけていません。
何かわかりましたら、また御報告いたしますね!

 

Re: 大磐石

 投稿者:MURY  投稿日:2018年11月15日(木)01時26分15秒
返信・引用
  > No.1295[元記事へ]

> ただ、実際裏手に磐座はなく、一方社殿に向かって左手奥の社叢の中に古墳がありますので、古文書はこの古墳を大盤石と称したのかもしれません。古墳の石組が少し露出していればそう称される可能性はあります。

私もその可能性に一票投じたいです。
裏手にかつてそういう古墳があったのかもしれませんし、石室石材の一部が動かされたのかもしれません。

あとはどれだけ伝承が事実を忠実に伝えているかですね。
 

大磐石

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2018年11月13日(火)20時33分28秒
返信・引用
  MURYさん

すみません。私の早とちりでした。
高座結御子神社は何回か行っており、社殿の裏までくまなく見ていますし、高座山も行っているので、社殿の裏手に磐座のようなものはないとの先入観が強すぎて読み違えたようです。

ただ、実際裏手に磐座はなく、一方社殿に向かって左手奥の社叢の中に古墳がありますので、古文書はこの古墳を大盤石と称したのかもしれません。古墳の石組が少し露出していればそう称される可能性はあります。神社側にもさっそく問い合わせ内容を説明しましたが、初耳とのことでした。

やや理解に苦しむのは、高座結御子神社も東に少し下れば古代は海でしたから、条件的には熱田神宮とほぼ同じで、ご神体を避難させるなら白鳥古墳か断夫山古墳の方が近いし海抜も高いので、高座結御子神社に持っていく必然性が感じられません。色々不明確な点は残りそうです。
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年11月12日(月)23時08分34秒
返信・引用
  > No.1293[元記事へ]

酔石亭主さんこんにちは。

『高蔵寺町誌』の該当の記述を掲載します。

「名古屋権現坊古文書に曰く、昔シ熱田ノ蓬ゲ原即チ島山ノ時海シヨウノ上ル時ハ熱田神宮御神体ヲ高蔵神社(○この高蔵神社は熱田の高蔵神社ならん。)ノ裏ニアル大磐石ニ御移シ給ヒシト之レヲ高御座ト称セリ。 註 本村高蔵社の裏亦大磐石存せり。」

熱田神宮御神体を移した「この高蔵神社は熱田の高蔵神社ならん。」と記しています。
高蔵寺村の高蔵社は「註 本村高蔵社の裏亦大磐石存せり」と註で「亦」と記しているので、『高蔵寺町誌』(名古屋権現坊古文書)は両方に大磐石があると述べていることになります。

 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2018年11月12日(月)19時26分43秒
返信・引用
  > No.1287[元記事へ]

MURYさん チェリーさん


> 高座結御子神社の大磐石は誰も見たことがないようなので、伝承上の脚色か、はたまた、社殿の内に秘匿されているか。


ご無沙汰しております。

大磐石は高蔵寺町誌の記事にあるもので、本村高蔵社とあることから本村は旧高蔵寺村を意味し、大盤石は高座山頂付近にある磐座となります。なので、高座結御子神社の裏手ではありません。

高座結御子神社の鎮座地では弥生時代を通して遺跡(高蔵遺跡)が営まれており、遠賀川式土器も出土し北九州との関係を示しています。実は饒速日が北九州から大和方面へ東遷した際、25部の物部が同行しているのですが、その中で嶋戸物部と贄田(にえた)物部=新北(にぎた)物部の行き先が不明となっています。

嶋戸物部は大倉主命を奉斎しており、大倉主命は高倉下ですから嶋戸物部は現在の高座結御子神社付近に至ったと考えられます。高蔵遺跡に遠賀川式土器があるのはその証明にもなりそうです。また贄田(にえた)物部は贄田(にえた)=新北(にぎた)=熟田(にぎた)=熱田となりますので、彼らは熱田付近に至ったと考えられます。名古屋市内に物部氏系の神社が何社かあるのはその影響かなとも思われます。

チェリーさんの得意分野で高座結御子神社と嶋戸(遠賀川の河口近くで、遠賀町島津)を結べないでしょうか?



 

Re: おぼこさま

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月28日(日)00時43分13秒
返信・引用
  > No.1291[元記事へ]

一見、要石のような佇まいに見受けられます。

看板に「磐座」と書いてあるんですね。

鉾を石の上に立てるわけですので、鉾が依代であるなら、下の石は依代の台座ですね。

磐座は依代ではなく、依代の滞留する目印("御形")という説が近年ありますが、その一例として語ることもできそうです。
 

おぼこさま

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月25日(木)22時34分15秒
返信・引用
  「小野神社」の境内にあります。お隣の「弥彦神社」と合わせて信濃国二宮です。
真ん中の丸い石の下に縦穴が空いていると思うんですが、ここに鉾を立てるようです。
金属製の鉾だと思っていたんですが、そうではなくて、飾りを付けた木の柱のようなのです。
境内の資料館にあったようです。紹介して見えるサイトがありました。
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/jinja/onosiryou.htm
これは異様な力を感じますね~
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月25日(木)21時53分38秒
返信・引用
  > No.1289[元記事へ]

> 見えないから、逆に方位や直線的なつながりを込めたのかもしれませんし、意味の込めかたは多数考えられます。

そうですねぇ~何か、直接見えない方が、尾根ひとつ超えた方がいい、と思われているような気がします。そういった例が多いですね…

> 多度山中の磐座は行きづらいので、私のGoogleマップもご参考にどうぞ。

ありがとうございます。これはどこから入ったらいいものか…また訪れる時に御相談するかもしれません。



 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月21日(日)11時09分9秒
返信・引用
  > No.1288[元記事へ]

直接目視できなくても意味があったと、1つ1つ事例を重ねて推測していくのですね。

見えないから、逆に方位や直線的なつながりを込めたのかもしれませんし、意味の込めかたは多数考えられます。

多度山中の磐座は行きづらいので、私のGoogleマップもご参考にどうぞ。
https://drive.google.com/open?id=1K96yw4IorBpm68hSeqFs4iwyHGk&usp=sharing
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月19日(金)23時36分47秒
返信・引用
  > No.1287[元記事へ]

多度山中の磐座 まだ行けてないんですよ~
ここ3年近く、北部九州に翻弄され続けているんです…地図上のことですが…

東西関係にあるのは多賀大社の社殿です。

別宮一目連神社 → 高座結御子神社 89.95° 距離 25.647km 真東との誤差22m
本宮多賀神社  → 高座結御子神社 89.93° 距離 25.675km 真東との誤差31m

高座結御子神社 → 別宮一目連神社 270.11° 距離 25.647km 真西との誤差49m
高座結御子神社 → 本宮多賀神社  270.09° 距離 25.675km 真西との誤差40m

お互いに直接見ることはできません。


 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月19日(金)00時26分43秒
返信・引用
  > No.1286[元記事へ]

多度大社との東西関係、高座結御子神社からだと多度山中の磐座と良い感じになれそうですか。

高座結御子神社の大磐石は誰も見たことがないようなので、伝承上の脚色か、はたまた、社殿の内に秘匿されているか。
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月17日(水)00時37分18秒
返信・引用
  > No.1285[元記事へ]

MURYさん、ありがとうございました。見てみました!
「熱田神宮古墳」は熱田神宮社殿のほぼ真後になると思います。
もともとはここを祀っていたんだよ…というような位置になるんですけど…
でも、毎年5月の御陵墓祭でお祀りするのは断夫山古墳と白鳥古墳なんです。
それに、あんなに真ん中に大きな通路を造っちゃったら、全部発掘されちゃうと思うんだけど…
そのあたりがやっぱり、謎になると思いました。

> 熱田神宮の奥の院といわれる高座結御子神社にも古墳群が分布しているのが興味深い。ここに大磐石があるという話も聞きましたが・・・。

高座結御子神社は何年か前に一度訪れたことがあります。古墳らしき高まりがたくさんあったと記憶しています。熱田神宮古墳に似てたと思います。一連と考えるのがいいかもしれません。
大きな石は見なかったと思います。今度訪れたら探してみますね!
またしても書いてしまうんですが、多度神社と明確な(例によってわたし的にはなんですが…)東西関係があると思います!
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月15日(月)12時31分56秒
返信・引用
  > No.1284[元記事へ]

リンク先のページを見ました。よく見つけましたね。

河村硝子の設計の方が主導したのか、熱田神宮側の意向を受けて取り入れたのか、どちらとも読み取れます。

現代風の庭園と考えれば、石を立てる発想も受け入れられます。
人工の木(神楽殿)と自然の木(社叢)の間に横たわる垣根をつないだのが石の塀だったというのは、社殿建築の石の玉垣の現代版解釈とも言えそうです。
その源流は、庭園の中での石の位置付けが、人工的に自然を表現するものだったことに由来していると考えれば、この建築物の融合性の根拠は相当趣深いです。

>古墳のような土盛がありました。中心部への通路があったようなのですが、暗くて写真撮ってないです!
>新しい通路だったので、防空壕なのかなぁ…真清田神社のうしろ側の土壇を連想しました!

チェリーさんドンピシャです。
リンク先をご覧ください。
https://ameblo.jp/sunhideshi/entry-12261640499.html

私は熱田神宮に詳しくないですが、ここが古代において島のようになっていた場所で、古墳がある地理的環境であることは事実です。
熱田神宮の奥の院といわれる高座結御子神社にも古墳群が分布しているのが興味深い。ここに大磐石があるという話も聞きましたが・・・。
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月10日(水)22時43分45秒
返信・引用
  > No.1283[元記事へ]

河村硝子株式会社の実績紹介のページに内側から見た写真がありました。
http://www.kawamura-glass.jp/results.html
自然との調和を目指したデザインなのかな?でも、岩を立て掛けるというのは、やはり異様ですよね…
はっきりした意図があるような…神楽殿の裏ではあるのですが、ここは境内社の密集地帯なんです。
「こころの小径」は、皆さんお目当ての一之御前神社から神宮本殿のうしろ側をめぐるのですが、古墳のような土盛がありました。中心部への通路があったようなのですが、暗くて写真撮ってないです!
新しい通路だったので、防空壕なのかなぁ…真清田神社のうしろ側の土壇を連想しました!
 

Re: 熱田神宮 神楽殿

 投稿者:MURY  投稿日:2018年10月 7日(日)08時08分11秒
返信・引用
  > No.1282[元記事へ]

溢れ出る五平餅感・・・。
インスタ映えしますね(謎)

この石の意味を検索してみましたが、なかなかそれらしき情報に出会いません。

石もどことなく扁平になるよう整形されているように見えます。
力学的な理由によるものなのか、デザイン面での調和を目指したのか?

わたしも熱田神宮に久々に参拝したくなりました。
神社の方に聞いてみたいです。
おもしろいものをありがとうございます。
 

熱田神宮 神楽殿

 投稿者:チェリー  投稿日:2018年10月 2日(火)23時56分51秒
返信・引用
  石垣ではないのですが、これはどういう発想なんでしょう?
熱田神宮のうしろ側を巡る「こころの小径」を初めて歩いたのですが、真新しい「神楽殿」の裏側を覗いた時の写真です。
この部分は、自然の樹木を取り込んだ前衛的な建築になっているようですが、岩を立て掛けるなんて初めて見ました。この岩の並びの奥に、自立した岩があるようなのですが、今度はしっかりと撮影してこようと思います。
先日、高句麗の将軍塚の写真を初めて見て、仰天したのですが、同じ発想かも!
 

Re: 須須岐水神社

 投稿者:MURY  投稿日:2018年 9月23日(日)22時05分10秒
返信・引用
  > No.1280[元記事へ]

森将軍塚古墳の近くなんですね。古墳は15年ほど前に行きました。
名前を見て、ふと当時を思い出しました。懐かしい。

小牧山の石垣のように、山の古墳の葺石も、そういう「見せる意図」をもって築かれたのではないかという説は、考古学の研究の中でも見たことがありますね。
なかなか証明しにくいんですけどね。
 

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