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書籍紹介 「シルクロード・風の回廊」 滝口鉄夫・著

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 8月20日(月)20時12分24秒
返信・引用
 





いま、中国の「一帯一路」が気になってしょうがない。アジアの辺境にありながら勤勉さと
実直さで欧米なみの文化と文明を築いたニッポン。

ほんらいの実力を、ようやく発揮して独自の世界戦略に動き出したアジアの巨星たる中国の
ゆくえと世界の動向は予断を許さない。


アジアとは?、とあらためて見回すと意外に自分がしらなすぎたことに愕然とする。しかし、
この熱帯地方の「猥雑」というかカオスというかとてもじゃないが私などのような平均的日
本人には入って行けない世界なのではないか。

もっとも団体旅行でベトナムやラオスといったいわゆるインドシナ方面とかシンガポールの
ようなところであればなんとかなるのかもしれないが、個人で人々のただなかに徒手空拳で
入ってゆくことには躊躇させられる。

滝口氏はのっけからインドの旅行で売春婦につきまとわれ、その女性の指先が「壊疽(エソ)」
によってグチャグチャに溶けており、これには閉口し、また、ハッシシ売りにつきまとわれて
難渋したことやら。


そういえば私のアウトドア関係の友人の中にもインドが好きな人がいて、ハッシシという大麻
を精製した樹脂を買い込み、吸い続けて一週間もすれば、時間と空間の概念が吹き飛んでしま
うようで、「今度、いっしょに行かないか」と誘われたことがあるが、お断りである。(笑)、

それにしてもインドというのは食文化に無数のスパイスがあるせいか、「性」に関する物事に
はかなり強そうで、事実以前に紹介したこの本の頁の写真をみても単なるモチーフとしての
像ではなく、口膣性行などは女性がむしゃぶりついているようで、想像で彫り込んだものとは
思えないようなエロチシズムにあふれている。

これがインドの仏教寺院であるというから驚きである。そういえば大石寺の御影堂にも天女の
半裸画があるが、密教系というのはこんな傾向があるのだろうか。

密教とはほんとうに仏教なのであろうか?。釈迦牟尼仏を否定して法身説法を説いたときから
仏教とは乖離していたのではあるまいか。空海当時の平安貴族が密教に求めたものは神術とか
仙術のような神秘的な呪術力であり、「即ち、祈りとしてかなわざるなし」みたいなものであ
ったことは確実なハナシで、そんなものまやかしであると気付いたときから密教系の衰亡がは
じまり、現在では殆ど形骸化した一般仏教のひとつである。





 
 

北大のアイヌ人骨返還にまつわり、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 8月 9日(木)21時07分10秒
返信・引用 編集済
 





つい先日、アイヌから要求の強かったアイヌの人骨の一部が、暴いた墓が明瞭でその家系の
人物も存在するアイヌ族に返還された。

アイヌの怒りは相当なもので(当たり前だ)、北大の副学長に謝罪を迫るアイヌのエカシ(長老)
は堂々としたものだったが、北大の副学長氏は、

「残りの人骨に関しては、いましばらく研究の対象とさせていただき、研究が終われば順次返
環したい」と申し述べ、ついぞ謝罪の言葉はなかった。

しかし、関係者なのか、西遊記の沙悟浄みたいな人物が涙ながらに、「こんなこと許されてよ
いわけがない、このとおり心から謝罪します」といってふかぶかと頭をさげていた。


私は宗教的情操も理解出来るし、人類学の立場からも理解できる。おそらく北大の副学長氏も
社会的に、或は宗教的視点からもそれらはじゅうぶんに理解しているはずである。

が、アイデンティティーを考えたとき、今、私は何故ここに存在しているのか、その意味は、
そしてその意義はなにかと、考えるとき、どうしてもその存在の原点から解明せねばならない
という考えにつき当たるものもいるのである。

これが人類学の基礎的要素なのであろう。むろん相違点が生まれることは承知のうえである。

だが、人類学という学問の分野そのものが、静かに眠っている遺跡を暴き、永遠の眠りについ
ている墓を暴いて現実世界に引き戻すことが唯一の研究方法なのである。

文学や音楽や演劇に代表される芸術や学問は、創造力で作り上げてゆくことが出来る「創作」
の世界である。

しかし、人類学というのは先史的証拠が無ければ「仮設」さえも考察の対象とはならない世界
なのである。

例えば「石器」が発掘され「炭素14法(C14)」によってある程度の年代が判明したとしよう。

それが先史前紀二万年としよう。ではその土地に住みついた人類は先史二万年前である、とは
ならないのである。なぜなら、旅の石器人類がたまたま放棄したものかもしれないからである。

だから石器という証拠があっても人骨が発見され生活の痕跡(住居跡等)がなければ「仮説
」と
いう域を出ないのである。

したがって、アイヌという特殊な存在に対しての研究は、墓を暴き人骨を採集し、DNAを調べ
また調査研究の新しい方法が外国などで発表された場合、再び研究のやりなおしが求められる
場合もあるのだ。

とくにDNAの抽出方法はめまぐるしく進歩し、数年前までDNAの解析に数年かかり費用も数億円
という時間もお金もかかっていた時代と比肩し、現在は一週間ていどと費用も二万円くらいで
できるようになっている。

このように、せっかく入手した証拠などは絶対に手放しては為らないのが人類学の世界なので
ある。

このような背景があるため、おそらくニュースをみた多くの日本人が、北大の態度に怒りをお
ぼえたのではあるまいか。

だが、これもいえるが仏罰や神罰が通用しないのも人類学の分野であろう。人類学者が仏教に
興味をもち、思想的に研究すると、同時にブッダの遺骨の蒐集に眼の色をかえるかもしれない。

(笑)、





 

大乗仏教ということ

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 8月 6日(月)21時22分2秒
返信・引用
 





さて、「大乗」という言葉は、原始仏教でいう「上座部仏教」「部派仏教」なる一連の動力に
対し、民衆というか在家からの欲求に答える形で僧団が動きついには正統なる原始仏教に対し
て「大乗仏教」なる新興宗教を生み出すこととなった。(笑)、


この第一期運動が「法華涅槃部」といわれるがじつは「般若部」に属する経典類の思想である
ことは仏教科学の常識というものである。(笑)、


般若部は「空観」という仮諦に反する思想を論じたもので、法華経では一歩進んで「中道」と
いう仮諦にも空諦でもない第三思想を生み出した。いわゆる中道実相である。


いや、止めよう。ここで大乗思想のうんちくを述べても理解出来るものは希である。つまり、
日蓮正宗や正信会、ましてや顕正会などの正道を外れた道の人々には理解出来ない思想の一端
を実相として述べなくては成らないのである。(笑)、

写真を見ていただきたい。これは溝口鉄夫氏がじっさいに現在のシルクロードを歩いて取材し
た記録である。「中西出版」の「シルクロード・風の回廊」という書物の紹介である。(笑)


仏教は、原始仏教から空観にうつり、唯識に至って最後は密教にいきつく。密教はヒンズー教
の影響を強くもっており、ブッダゴータマもヒンズー教の神のひとつとされた。(笑)、


大乗仏教は密教にいきつきすべては実相でありこれ以外に真実は無いと云う論理にいきつき、
じじつヒンズー教の影響のもとに「密教」がなりたちこれを日本列島に輸入したのが「空海」
であり、これを摂取しようとしたのが伝教大師最澄である。


この大乗仏教のなれのはてが「密教」であり、空海どころか「日蓮聖人」までが、男女交会の
と南無妙法蓮華経とまで指南されている。つまり、エッチは大乗仏教の重要なエッセンスであ
るのだ。(爆笑)、


いいなあ。大乗仏教・・・・エッチが悟りで、快楽が人生であると説く。これが大乗仏教の本
質であろう。

大乗仏教・・・・私はこれ以外の思想は認めない。断じて認めない。(爆笑)、





 

ママチ遺跡について、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 8月 6日(月)20時33分21秒
返信・引用 編集済
 





以前から気になっていた「ママチ遺跡」に行ってきた。「ママチ」というのは地名で「真町」
とも記されるが、アイヌ語の「ママッチ」が語源であり、この町を起点に千歳側の支流とし
て「ママチ川」があり、ときおり大物のトラウトが釣れる川として知られている。


場所はママチ四丁目なのだが、高速道路の「千歳インター」を降りてすぐの場所なのだが、よ
くわからなかった。その場所はわかるのだが遺跡らしいものは見あたらない。(笑)、

遺跡というのは殆どの場合発掘作業が終われば、埋め戻してしまうので、場所のみが国史指定
とか、道・県指定とか、市指定とかとなる。

ストーンサークルのような形のある場合や貝塚のような形跡のある遺跡はそのまま保存される
が、たいていは弥生時代の伝統なのか、縄文遺跡は掘削の様子はすべて消されて場所のみがの
こるのである。(笑)、

場所としては、ママチ川の四丁目右岸(上流から見て右側)なのだが、発掘が終わったので埋め
もどされたのであろう。

この遺跡からは、有名な国宝仮面が発見されており、日本の縄文時代の文化を語るさいには重
大な発見がされているのである。

その仮面を見る限り、縄文人というのは非常に濃い面相をしており、まるでアイヌのようなの
だが、北黄金貝塚(伊達市)から発見されている縄文人の人骨は北米の先住民と近いもので、モ
ンゴロイドそのものなのである。

これはいったい何を意味するのであろうか。縄文時代にはモンゴロイドと南方系のアイヌ族が
共生していたとしか思えないのである。

つまり、北海道という列島最北端には、列島本土の縄文人と共通な縄文人と南方系のアイヌ族
が共生していたということとなるのであろうか?。

南方系のアイヌが温暖地域の種族とは限らない。南方の山岳民であれば寒地対応はできていた
はずであるし、当然毛皮の衣服や狩猟に長けていたわけである。

つまり、アイヌ族が南方系の形姿を持っていたとしても山岳民と仮定すれば列島北部の現在は
北海道と呼ばれる地域に定住したとしてもまったくおかしくはないのである。

現実にアイヌ族の歯は北方系(モンゴロイド)のシャベル状とは違い圧力に弱い平型の小さな歯
なのである。これからもアイヌ族がモンゴロイドとは無関係であることは確実であろう。


ますます、わからなくなってきた。これからが我々人類学を指向する者の本領が発揮されなく
てはならない。





 

不可解なNHKの「人類誕生」

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月30日(月)20時01分46秒
返信・引用 編集済
 





NHKで不定期に「人類誕生」なるシリーズを放映している。人類学では数種の原人や旧人が知
られているが、現在では「ホモ・サピエンス」の一種のみが人類とされている。

ホモ・サピエンスが出現したさい、それ以前にヨーロッパには「ネアンデルタール人」がいて
サピエンスと交雑したか、人種の拡大がならず滅び去ったと考えられてきた。

しかし、ネアンデルタール人が出現したのは、サピエンスの後であり、その容姿は白人で蒼眼
金髪とされている。これは生息地の環境に適した容姿を科学的に算出した結果である。

当初、二足歩行をした人類は発汗作用の必要にせまられて体毛が薄くなったと考えられている。

その当初の肌は当然白色であり、紫外線の吸収に迫られた関係で頭髪も金髪になったものと推
測されている。


その後ネアンデルタール人は頑健な体力とサピエンスより高い知力のために、逆に進化に失敗
して滅び去ったと考えられている。最後のネアンデルタール人はジブラルタル海峡の洞窟で亡
んだのである。最後に見た海峡の風景に、何を想ったのであろう、自分が最後の種であること
を自覚していたであろうか。


サピエンスは非力な体力をカバーするために「道具」を考え出し「投槍器」の発明により槍が
飛躍的に飛ぶようになり、獲物の獲得が増加して種の拡大に成功したと云われている。


だが、ちょっと待て。少しおかしくはないか?。投槍器は確かにテコを利用して飛躍的に槍の
飛距離は伸ばしたが、それで獲物の狩猟が飛躍的に拡大するであろうか?。

鹿やトナカイやこれに類する大型の動物は簡単には死なないのである。現在でも勝れたライフ
ル銃でバイタルゾーン(肺・心臓・気管)等に命中しても100メートルくらいは平気で走るの
である。

これが平地であれば百米くらいは問題ではなかろうが、山中であれば尾根や沢をみっつよっつ
は超えなければならない。平地を走る群であっても必殺の投槍がバイタルゾーンをはずれたら
まず倒すことは不可能である。現在の銃猟でもそうなのである。ましてや石器を取り付けた槍
で、どうやって獲物獲得の拡大が望めるのであろうか。

もちろん、投槍器が無能というのではない。むしろこれは獲物を倒す確立が高くなったと推測
すべきであろう。今までバイタルゾーンを外れた槍では効き目が無かったものが、たとえば足
の関節にささっただけで、獲得できるようになったと考えられるのである。

倒れて動きが鈍くなった動物に「止め」を刺すのも安全で容易となり、これが結果的に獲物の
獲得増大につながったと思うのである。

槍というのは遠くに飛ばせば飛ばすほど「威力」が無くなるのは物理学の初歩である。投槍が
もっとも威力があるのは投げた瞬間であり、獲物に近ければ近いほど威力は増すのである。

故に今般のNHKによる「人類誕生」の構成演出はものごとの道理を知らない考古学の初歩者の
初歩的ミスにより、多くの素人を迷わすものと判断するものである。





 

江別市・郷土博物館、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月23日(月)21時55分31秒
返信・引用 編集済
 





あまりに近場なので、そのうちそのうちち思いながら今までのびのびになっていた。

あらためて行ったが、すばらしい宝庫であった。

江別市というのは、全体が遺跡のうえに成り立っているようなもので、有名な「坊主山
遺跡」や現在は住宅地になっているが、「高砂遺跡」が有名で独特な様式の縄文土器は
「江別式」といわれ、東北地方にまで影響を及ぼしたものである。

とくに「坊主山遺跡」は、発掘当時は高度成長期で、北海道は電力が足りず、北海道電
力が、新規に発電所を建設していて、その合間を縫っての発掘で、

「坊主山冬の陣」といわれ、真冬に北大医学部や教育大学が氷点下の中で発掘を決行し、
縄文人の人骨や土器を発掘し、現在の考古学に甚大な功績を残したものである。

当時の発掘にあたった大学の関係者に深く脱帽し尊崇の念をいだかざるを得ない。

少なくとも未成年の少女をヤリ逃げをはかったり、女性の下着を盗んだりの劣等坊主とく
らべてもその価値の相違は厳然としているものである。

思い出したが、日蓮正宗の坊主では法主なる地位のものが学会婦人部にチンポをおったて
ハメまくって宗内を混乱に陥れるという歴史がある。考古学の対象ではないが少なくとも
在家がEDで悩んでいるのと違い、正宗坊主の股間は元気いっぱい、というところか。

土器の陳列はわりとこじんまりとしているが、整然と種別に分けられた展示は合理的で
興味深いものがあった。書籍を数冊購入して、

午後からは「いしかり砂丘の風資料館」へいった。ここは、石狩市の「紅葉山49号遺
跡の発掘が展示されており、4000年前の、縄文人の大がかりな漁労の仕組みが展示され
ている。

発掘品はサケやマスを捕獲する仕掛けが部分的に展示されているだけなので比較的こぢ
んまりとした展示なのだが、当時発掘にあたった発掘師がガイドを努めており、また縄文
時代にはかなり深い造詣があり、感服したのである。

またユーモアやウィットがあり、このガイドが楽しくじっさいに発掘にかかわったものに
しかわからない裏話が聞けたのがよかった。

「中止!」の声がかかり、立ち上がるときにハケでひと掻きしたところでクマの足跡が
みつかったり、掘っても金太郎アメのような状態に不審を思い、縦方向に掘ったところで
漁獲用のヤナが発見され、原型より短くなったハナシやら、このおおがかりなヤナが発掘
されて、縄文のゆたかな漁労の方式が発見され、時代観がおおきくかわったハナシやら
じつに楽しいひとときであった。

日蓮正宗の話題で穢れた心が洗われるようなひとときなのであった。

石狩市の「紅葉山遺跡」は縄文海進の時代にできた砂丘で現在の石狩海岸より六キロほど
内陸に入り込んでいたものである。この砂丘地帯は現在は住宅地となっており、数カ所の
遺跡が公園や遊水池に残っているだけである。

この遺跡は全部で49箇所が知られていたが、数字の小さな遺跡は記録を紛失して現在では
わからないようである。有名なのは「花川南公園」にある33号遺跡の縄文住居跡と、この
49号遺跡で、現在砂丘は一分が公園になっており、このあたりも掘ればなにかが出てくる
といわれている。

あせったのが、江別の縄文古墳群で、どこだろうと思いながら歩いていると、なんと古墳
の真上を歩いていたではないか。(笑)、

アイヌ文化時代のチャシは、住居の痕跡がひとつだけ発見出来たが、全体像は、草が深く
よくわからなかった。今度は草のなくなる秋深くに探査してみたい。





 

悟らんどよ、笑ったぜ、(笑)、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月23日(月)20時47分1秒
返信・引用
 





まだ、オマエは状況が理解できておらないようだな。

所詮は、神話と迷信に沈殿している徒輩の妄乱であろう。(苦笑)、


さて、今般日蓮正宗の宗務院は、早瀬日如の了解のもとに応顕寺の森常男の
提訴を許可したのである。(爆笑)、


オレにケンカを売ったのは、日蓮正宗宗務院である。(笑)、

オマエが云うオレの以前の投稿とは何か?、応顕寺の森常男の提訴以前であるか?。
であればハナシは簡単である。

再度云う、オレにケンカを売ったのは、日蓮正宗宗務院である。何度でも云うぞ。

オレにケンカを売ったのは、早瀬日如はじめ日蓮正宗宗務院である。(爆笑)、


これで理解が出来たか。出来ないのであれば何度でも云ってやるぞ。(爆笑)、


どこぞの妄乱が日蓮正宗の迷信に迷ってタワゴトをほざいておるわい。

御本尊だと?、なんだそれ?、オレは持っておらんがな。(大爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、





 

通りすがりの法華講員曰く・・

 投稿者:通りすがった  投稿日:2018年 7月23日(月)14時03分19秒
返信・引用 編集済
  その人(松木さん)は信心しなくなっただけじゃない?
そのうち、御本尊様に気づかせてもらえるだろうけど。

我見・三悪道から抜けずにいる学会員にはわからないだろうが、そういうことだよ。


ですと。


https://9308.teacup.com/shukubou/bbs/14534?TEACUPRBBS=0110b4df1820dfbd766c66fd74e5c887
 

暇人へ

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 7月21日(土)20時20分18秒
返信・引用
  悟らんどは実際の信心活動に勤しんでいます。
今夕はご住職のお盆経をたまわり、そして明日は大法要です。
信仰は実践が第一。
科学??
アホか?m(_ _)ノ彡☆バンバン  自分の過去の発言見てみるよろし。
 

日蓮正宗の自界叛逆について、(爆笑)、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月16日(月)20時35分20秒
返信・引用 編集済
 





タカボン氏からメールがはいっていた。(笑)、


面白いのでおおわくを披瀝したい。(爆笑)、(爆笑)、(爆笑)、


神奈川県在住で日蓮正宗の法主のバカ息子が住持をつとめる応顕寺にまつわり、

応顕寺の講賊である森常男に対する怪文書が続いていたようで、この容疑者は
北海道の法華講員とは無関係であることが「横浜港北署」で確認されたようである。(爆笑)、


さて、応顕寺の森常男への怪文書とはなんであろうか。

①私こと松木孝嗣も、大阪の消印がある「シラキミノル」なる自称法華講員から怪文書が当時の
 所属である「日正寺」に連続して数十通投函されていた。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、

②たかぼん氏の所属である苫小牧の寺院にも同じく大阪から怪文書が連続投函されている。(爆笑)、

③黒川和雄という池田大作のウンコを喰ったと自慢する大阪の正式な法華講員が、タカボン氏を
 苫小牧の住職であったY御尊師が黒川和雄の証言はウソであり、タカボン氏は黒川和雄のような
 ことは云っていないしやっていない、と「港北署」に正式に証言した。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、


以上である。(爆笑)、な~んだ。しょせんは、森常男とか、黒川和雄なんどという正式な法華講員とは、
ウソで練り固められた「虚言癖」の集合体であったのだ。(爆笑)、



m(_ _)ノ彡☆バンバン、・・・・いじょうは、神奈川県の横浜「港北署」という警察が認知した

事実である。(爆笑)、


さて、さて、日蓮正宗さん、森常男とか、黒川和雄とかのクソ喰いや虚言癖がネットで拡散して
結果的に、正宗=虚言宗というラベルが貼られないよう、

御祈念致します、(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン>






 

科学的視野から見た「日蓮本仏論」 補遺

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月10日(火)19時54分25秒
返信・引用 編集済
 




ヒマつぶしに、今少し問題点とおもわれる部分を論じてみたい。

観心本尊抄の、此の時地涌千界出現して「本門釈尊為脇士」一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし、の読みであ
る。日蓮宗ではこれを「本門釈尊の脇士となる」で、大石寺では「本門の釈尊を脇士と為す」である。

大石寺の読みはいかがなものか。

たしかに仏が他仏を脇士と為すことは化義的にも存することは事実である。だが「菩薩」が釈尊を脇士と為すこ
とはあり得るであろうか。答えは「あってはならない」ものであろう。ボサツというのは釈尊の修行中の名前で
あり、仏が衆生救済の実行力となることは原始仏教でもない。

実際的に衆生救済の実践を行じるのは師たる釈尊の教えを受けた弟子位たる「菩薩」なのである。釈尊は法を
示して修行の方基を示すのであり、この法を世間の中で実践して衆生を救済するのはあくまで菩薩である。

観心本尊抄は、文底仏教を開示した「開目鈔」の後であり、正法の法華経の正意を「一品二半」とし脱益仏教と
論じている。これに対し日蓮聖人の仏法は「下種仏教」であることは同じく観心本尊抄に述べられている通りで
ある。

いうなれば文上法華は本果を顕説したものであり、御義口伝にいう釈尊から譲られた法を開示するという聖人の
仏教は「文底法華」である。これが「本因妙思想」であり、日蓮宗門下の中でもこの意義を理解出来ない宗徒が
いることはまったく不可思議なことがらである。

しかし、本因と本果が別々に走り出したらただの〝気違ひ〟であり仏教も仏もあったものではない。本果には本
因が必随し、本因には必ず本果という結果が追いきたるのである。

さて、これで結論から云うと、此の一段の読みは「どちらでも良い」ということである。ただ、普通に読めば、
日蓮宗の読みが妥当なところであろう。しかし漢文の順当な読み方の技法でいえば大石寺の読みがただしいので
ある。

日蓮聖人はひとりの思想家・哲学者として独固の思想を建てられた。しかし時未だ至らず環境も、時代的に日蓮
聖人の思想を理解できるものではなかった。がおそらくこの思想が一般的に受け入れられるときは今後もあるま
い。

なぜなら「仏教の開祖は御釈迦様」であるからだ。さらに時代は経済至上の世情である。自己の不運をやれ因果
だ、縁だと論じても現代の市民には聞く耳はあるまい。

日蓮聖人の仏法は仏教史上重大な思想が含まれているのだが、この「日本仏教の誕生」という問題は、過去の
「一乗・三乗問題」も両断のごとく切って捨てるものであるのだが、仏教思想界の中でのはなしであり、あく
まで学的な範囲での議論となろう。


もうひとつ余話。

大石寺の教法の誤りは、無始無終の久遠を建てるところにある。つまり「久遠の本仏」である。考えてもみよ、
日蓮聖人は鎌倉時代に生まれて鎌倉時代に六二歳で滅した。つまりあり得ない久遠の仏というものを大石寺では
「不滅の滅」などと仏教漫才よろしく建てて自己満足という信仰に逃げ込んでいるのが実相である。

大石寺では大曼陀羅を「報身如来の御当体」としている。これもおかしな話で、仏の智慧身をあらわす、もしく
は仏の悟りの世界である報身が板や紙の印刷ではこころもとないものではないか。

仏の悟りの世界を図顕した、というのであれば報身如来の御当体とはいえない。この曼陀羅の背後にあるものこ
そ究極の実在となろう。この論理を想定した大石寺の貫主がいる。「日寛上人」という。六巻抄にやがて論難さ
れるであろうことを予測して「自受用法身」と法身に「自受用」を冠してしまったのだ。これは真言密教の思想
である。

おかしいではないか。法身というのは森羅万象を「たらしめている定理」であり、法身の説法といえば森羅万象
の現象のことごとくが法身如来の当体なのである。これを「理即」といわないか。したがって法身が報身と応身
をさしおいて「説法」するなど三身がバラバラの〝気違ひ〟以外のなにものでもなかろう。

これが大石寺の限界であろう。さも「永遠の仏身」などあろうはずもない。角川文庫ソフィアに日蓮聖人の項を
論じて「永遠の命」と題されているが、あくまで思想的なものであり「事」ではない。

もし仏法の永遠性を論ずるのであれば、その時代に即した展開の出来る学徳を備えた人物が時代に即した説法を
行うものであろう。これが大石寺にはあるのだ。血脈相承の法主という存在である。

だが、科学に背を向けて信仰という神話の世界に逃げ込んでいるようでは大石寺も衰退の一途であろう。まして
や森・松永という狂乱が異体同心の論理も無視して暴走しているようでは教団破綻のもといであるし糞尿の味覚
を広言する黒川和雄が法華講員ですと云ったところで誰も聞く耳は持つまい。

さらにエロ坊主が跋扈して刑事事件として裁かれるバカ僧が多すぎやしないか。正しい力のある仏法を行じ、正
しい出家となるはずが未成年の少女をカネも払わずにヤリ逃げをきめこんだり、女性の下着に興奮して窃盗でパ
クラレてみたり、これでは世人以下ではないか。

ま、所詮は高邁な教法を論じても出来損ないのサラリーマン坊主を養成しているのが関の山では将来も期待はで
きなかろう。日蓮聖人の遺戒である「広宣流布」は現今の大石寺では考えられない妄想といえるのではないかナ。

以上で、過去に法華講員であった私の科学的視座からみた日蓮聖人の思想について論じてみた。もちろんこれは
思想史の一端であり日蓮聖人の思想そのものを論じたものではない。

信仰は「信を以て慧」にかえる修行の世界である。だが科学というのは「疑の世界」なのである。大学者の定説
であろうとも自分が論理的と考えることがあれば新しい思考を構築する。これが科学の世界なのである。

国立歴史民族博物館の副館長である「佐原真(まこと)」氏は云う、「疑うことで進歩し、日々新たな発見が続く」
と。

科学の裏付けの無い思想などただの妄想にすぎない。時代に対応し万民が納得しうる思想を遠心的な力用で展開
しない限り、大乗思想は永遠に信仰心という神話に埋没するだけであろう。






 

つづいて昼飯、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月 9日(月)23時14分1秒
返信・引用
 





ひるめしは「宮」のステーキ。

こんなもの、数日に習慣的に喰っている。


松永は毎日で森は三日おき、オレやたかぼんは三日おきで、オメーは一週間に一度。(爆笑)、


黒川は、一年に一度くらいか。

なんせ、池田大作のウンコを喰うのが生きがいの講賊だかんな。(爆笑)、



 

弁当の極致、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月 9日(月)23時00分41秒
返信・引用
 




日本亭という弁当屋がある。


なんだ!このカラアゲは。

これは、人類の幸福いがいのなにものでもなかろう。


刑場のツユと消えたアサハラと、490円の弁当に至上の幸福を感じるオレと、

どちらが幸福かは、いうまでもなかろうが。

もし、アサハラの人生が絶対的幸福の極致であると感じるのであれば、


ハッキリいう。「邪教の極致」である。と、(笑)、





 

オバカのオメーに、(苦笑)、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月 9日(月)22時41分28秒
返信・引用
 




オメーだよ、

さて、ヒマな野郎がいたものである。オメーだよ、オメー!!!

私は先週の半ばから、北海道の噴火湾に展開する縄文時代の遺跡の研究に行っていた。

カネがなくてネットでしか動けない黒川なんぞといっしょにしてはいけない。
もっとも、いっしょには論じてないけどナ。(爆)(爆)(爆)

すばらしい遺跡であった。みやげに鏃のレプリカを買ってきたから、今度プレゼント
してあげる。・・・うっうっ・・・オレはどうしてこんなにオバカにはやさしいのだろ。(笑)(笑)(笑)、


あいにくの天気で伊達の周辺しかいけなかったが、他の遺跡と違い、発掘状況を復元して
おり、とくに「北黄金貝塚」は公園として整備されており、可能なかぎり縄文時代に近い
環境を、これからも整備していくようである。

さて、この「環噴火湾遺跡群」の特徴として、他の遺跡では残らない縄文時代の人骨が
時代によって多数出土していることであろう。

日本の国土は「酸性質」なので遺骨は土中に解けて残らないのである。が、貝塚というのは
貝殻のアルカリ分やカルシウムの補充があって、極めて良好な保存が可能であり、じじつ

縄文早期、前期、中期、後期、晩期、続縄文、擦文、との歴史的変遷の人骨がそれぞれが
発掘されているのである。

まあ、近代から近世のアイヌ民族の墓を暴いて研究資料としたのは神罰・仏罰を恐れぬ
非道の徒輩ともいえるが、生活環境や思想を考古学的に探る文化人類学と違い、

あくまで人類のみを研究対象と為す人類学ではやむおえない一面が存するのである。

今回の収穫は、縄文時代、内地では弥生持いにあたるが北海道では「続縄文時代」で、
内地の古墳時代、飛鳥時代もこれにはいり、内地の奈良時代と平安時代鎌倉中期が、
北海道では「擦文字台」である。

これらの各時代の人骨のすべてが「環噴火湾遺跡」から発掘されており、その延長線上に
アイヌ人がある、という「形質人類学」の一端が垣間見られたことである。

だが、これでも私には不十分である。なぜなら、縄文人の特質として上の歯と下の歯が
ツメキリのように合わさり、この人類は北京原人やら五百年前のハビリス人やバラン人
とかの猿人から原人となりこれからの旧人やらの特質であり、われわれホモサピエンス
の新人類の初期もこの型であるからだ。

いまから一万年くらい前に現在のコーカソイド(白人)・モンゴロイド(黄色人種)ニグロイド
(黒人)と分かれていたのだが。アフリカを出たホモサピエンスは当初は黒人で、当時の

環境に応じて進化(変化)した。

紫外線を拒否する黒い肌から寒冷な欧州地方に適した紫外線を吸収する白い肌と、
その中間のモンゴロイドへと、しかし人類の特色である「多様性」は今の所談ではない。

人類は「二足歩行」を余儀なくされる環境があった。四足よりも平原に降り立つ必要で
二足歩行をせざるを得なかったのであろう、と考えられている。

ならば、ペンギンはどうなのか、と人類学者に聞きたいところだが、もう寝る時間でる。


おい、信仰という狂気の世界にはまっているオメー、所詮は宗教というのは人類でも高等な
思考をもつ偏屈者が自然観察から生み出した「妄想」に過ぎないのだよ。


末法なんぞはな、あと二億年くらいで日本や朝鮮や中国ロシアの沿海州は合体して消滅する。
これは地球物理学から判定され観測されている事実である。もちろん日本海はただの塩河と
なり、このあたりを巡って国境紛争が起きるかも知れないが、どこの国にも戦争をするチカラ
は、おそらくのこってはいまい。

もちろんその時日本は無いし日蓮正宗も無い、本門戒壇大本尊もどこへやらこれが
科学的実相である。これが広宣流布であるか、これが久遠の本仏の寂光土であるか?
そんなものすべて造山運動の中で消滅するのである。


この状況になるのは、二億年から三億年くらいである。さらに二十五億年後には膨張した太陽
のちからで地球の表面は高温に熱せられて生命のすべてが滅亡する。これが地球の生命の最後
であるのだ。


だから、オメーにもすべての人類にいいたい。人生を楽しめと。生きとし生けるものすべてに
喰われても地獄、喰うも地獄、死ぬも地獄なら生きて楽しみをみつけて、さらに生きてみよう。

これが出来る環境がいまの時代なのだ。だから、なぜオメーは苦しむのか理解ができない。
日蓮が久遠の本仏であることを立証するために人生をかけるのか?なら出家して研鑽せい、
小乗の出家みたいに。(爆笑)、


オレはいまの人生を楽しみたい。あ~ぁ、伊達の貝塚の管理してるネーチャンね、ちょっと

ポチャ系で、話しかけても恥ずかしそうに「恥じらい」を秘めて頬を染めたた可愛い娘だったな。

また、機会をつくっていこうと画策している。




(^^ゞ




 

科学的視野から見た「日蓮本仏論」 ③

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月 9日(月)22時27分15秒
返信・引用
 





さて、上記のごとくもし、「日蓮本仏論」を建てるのであれば別に「百六箇抄」や「本因妙抄」のような後世の
偽作を持ち出さなくとも論理的には可能である。


しかし、少しおかしくはないか。たとえ娑婆世界の教主釈尊が、ブッダ・ゴーダマと表れ、像法に天台とあらわ
れ、龍樹とあらわれ伝教大師最澄とあらわれたとしても決して「権教の教主釈尊」ではないはずである。

つまり正法時代にはその時代に適した、像法にはそれに適した教法を流布するのが「仏教」としてだ、末法に顕
れる釈尊も所詮は「末法嫡示の法」の教主ではないか。その法が究極の大法であるとしても、法というのは説か
れる時には諸経の王として説かれるのである。


大石寺では宗旨の三箇(三大秘法)と宗教の五箇(教・機・時・国・序)を建てる。末法は万年で終わるのであり、
遠い将来の五十六億七千万年後には最後の救世主として「弥勒菩薩」が表れるという。もしこの教法が権教の法
であるならば日蓮の教法も権教に依拠しているのである。

日蓮を久遠の本仏と建て、ブッダ已来の教主・教法のすべてを権法と為すのであれば日蓮の教法も所詮は菩薩の
法に過ぎない。もし日蓮が「我れ本仏なり」と論ずれば、仏教の破滅であり教主釈尊を倒す弥陀の一門とかわり
なくなるではないか。

仏教というのはあくまでも娑婆世界の教主釈尊の教えを以て仏教と為すのである。


蓮祖の「今此三界抄」に、随他の本門は五百塵点の本初を明かし我本行菩薩道の本を明かすが久遠を明かすとい
えども因によって果を成就するいじょうこれを始成正覚に準ずるものとして論じ、随自の顕本として釈迦如来は
三千世間の総体であり、無始より無作の三身であり、森羅万象の微塵より総体に至るまで悉くが釈迦如来の当体
であると論じているのである。これが日蓮の「如来秘密神通之力」であり、普賢経に説かれた、釈迦牟尼仏はこ
れを「毘廬遮那遍一切処と名づけて其の仏の住所を常寂光土と名」づくと決判されている。


さらに日蓮自身は万年救護御本尊に妙法大曼陀羅は末法に入りて地涌菩薩が書き表す、と明確に自身の立場を菩
薩位においている。それもそのはず。もし日蓮を本仏としたらそれまでの仏教のすべてが権教となり、日蓮以降
が本物の仏教、ということとなる。

これをやったやつがいる。「顕本・日隆」である。日隆は自分は経巻相承であるが、以降の弟子は血脈相承とす
ると宣言したのである。つまりこの論法では「地涌の眷属」の立場でいくらでも御本尊を書いて宗派を建てるこ
とが出来るのである。

もし日蓮の後の教法はすべて興尊に付属したと二箇相承を振り回しても相伝などは五老であればそれぞれが受け
ているものであるし、例えば、四条金吾の妻女にあてた御抄に、六老日昭師に口伝・相承を開示していることを
明示し如来の使い、としている。制しておく、この如来が日蓮本人を指し示す文証とはならない。

日蓮の自覚として地涌の上首として自らの悟りの本法を弟子に明示したと捉えるべきである。では興尊の他に昭
師のみかと云うと、日向師も法華経の相伝を受けているのである。これが御講聞書である。朗師なども不動愛染
の相伝を幼少時に承けているし、おそらく他にもあったろうが、まさに承けた当人がその大事を承けきれなかっ
たというにすぎまい。

ただ、六老のうち頂師と持師に関しては、もともと興尊の弟子位の人たちなので特別な相承があった可能性はひ
くいと云うべきである。駿州と甲州は日興上人の教線であるから、六老といいながら半分は興尊の縄張りであっ
たものだ。或は、興尊の跡条々事の目師への半分相承は、これがもといであるかもしれない。

ここで云えることは身延山は日興上人の教線下にあったのだから久遠寺の相承は当然のごとく日興上人である。

話が逸れた。日蓮本仏論というのは仏教の破綻につながる危うい思考でもあることはこれで論じた。もっともこ
れは、日本仏教界や仏教学者、例えば梅原猛氏なども知っていて俎上にのせられるが「異端」とされてかえりみ
られることは、今後もなかろう。

それは、もし大石寺のごとく日蓮聖人を久遠の本仏と論ずれば、鎌倉新仏教の時分に発生した新興宗教であると
の誹りは免れない。さらに云えば学会問題、正信会問題、顕正会問題等のように闘諍に明け暮れている分派をみ
ても、古くは五一の相対から途中の闘諍、明治の新時代から大正時代までのの宗内闘争、正に末法の闘諍よろし
く万年まで闘諍に明け暮れているのであろう。これが滅後の真諦的現実であり史実である。





(オ・ワ・リ)


このオレの所論に反論するのであれば、いくらでも対論してやるゾ。


ハッキリ云うが、そんな者はこのよに存在はしない。(爆笑)、



m(_ _)ノ彡☆バンバン




 

おーい、(^o^)/

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 7月 9日(月)12時03分30秒
返信・引用 編集済
  生きてますか?
まっちゃんの生存確認だけが目的だったのに、一週間も書き込みがないと心配だね。

歌丸が死に、麻原が死に、加藤剛も死んだ。世の移り変わりはまさしく諸行無常の響きありでんな。
法太郎も既に死に体だし。(^_-)-☆

まっちゃんの神経を逆なでするつもりでしかないんだけど、
22日は日正寺の先代住職さんの一周忌法要らしいですな。お参りせねば。<(_ _)>ナムナム。

前日21日は単身先でのお盆経でご住職が超狭アパートにいらっしゃいます。
おーっと、おしきみ枯らしたままじゃまずいね。(^。^)y-.。o○
 

すまん、(汗;

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 7月 1日(日)16時59分56秒
返信・引用 編集済
 





昨日は、夜勤があったために、曜日の感覚が狂い・・・・・・精神じゃねーぞ。

本日のつもりでいた。悟らんどから電話がきたので、あわてて洗濯機に入れ込んだ

パンツとシャツをはおり、通りに出てもタクシーが来ず、マイカーで約10分、

悟らんどのヤロー、あ~あ、一時間も立っていたので腰がいたい、といいつつ
腰をさすりつづけ、ジクジクとオレにひにくダラダラで、ついに会計を持たされた。

オレが悪いのは承知だが、このやろー、オレのぶんまで生ビールをガブガブと飲み、
ケロリとしてなんら酔った徴候はみられない。

ほんとうに、信心も強いが酒も強い。


こんどは、風俗でもハシゴするか。オレはEDじゃないんでナ。(笑)(笑)(笑)






 

東札幌の焼肉店

 投稿者:悟ランド  投稿日:2018年 7月 1日(日)12時27分20秒
返信・引用 編集済
  昨日は一時間も待たされましたが、奢るつもりが奢ってもらって恐縮です。<(_ _)>
札幌にいるうちにもう一度やりたいですね。よろしく(^^)v

今日は朝から東苗穂の温泉に行って法太郎の毒を洗い流してきました。!(^^)!
8:30から駐車場がいっぱい。暇人が多いなあ。

6月は雨が多かったですね。今日も雨。
法太郎の涙雨かと思うと胸がいっぱいです。(^O^)/彡☆バンバン
 

法太郎遁走す。

 投稿者:悟ランド  投稿日:2018年 6月30日(土)19時57分33秒
返信・引用
  所詮その程度の男??  

まっちゃん何やってるの?

 投稿者:悟ランド  投稿日:2018年 6月30日(土)19時33分52秒
返信・引用
  約束忘れてんの?  

科学的視野から見た「日蓮本仏論」②

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月30日(土)16時54分38秒
返信・引用
 




二回目である。


どこやらのアホウが狂乱して理解不能のままのようである。(笑)、オメーだよ、悟らんどよ。(爆)(爆)(爆)、


さて、以上のごとく、妄想の大乗思想の産物である法華経に、現実的な、というか「実相的」な価値を吹き込
んだ日蓮その人は、本来であれば「末法という仏教思想的思考」に基づいて、自己の発想である第三の仏教で
ある「法華新思想」を提示して「宗祖」として君臨し、鎌倉幕府の「国師」として思想家として成功するはずで
あったが、「立正安国論」は失敗に終わった。

日蓮その人が、「いかなる宗派の祖でもないし門葉でもない(趣意)」と述べているとおりである。これは自己の
思想は仏教思想の伝承を補強としながら打ち出した結論(三大秘法)は、新興宗教ではないが、天台の門葉でもな
いという、「中道」的性質を物語っているが、結論を申し上げれば、

日蓮仏教(三大秘法)は、法華経に基づいた正式な思想であることは、三時弘教次第による。末法出現の法華経は
「南無妙法蓮華経」であり、ただちに「久遠の釈尊(久遠元初の自受用報身如来)」に直結するものであり、この
思考に基づいた「末法における化義の戒壇(下種の戒壇)」の必要性を論ずる。

これが「日蓮の思想」である。


つまり、日蓮は独自の仏教を独自のものてはせずにあくまでも「法華経の教主釈尊」からの伝承であり、天台、
伝教につづく三国(印度・中国・日本)の継承者にすぎない、と決判したものである。

何故か?、妄想の産物である法華経に生命を吹き込んだことで法華経を現実に生まれ変わらせたが、これを論ず
れば、中世(=鎌倉時代)の「新興仏教」となんらかわりなくなるからである。

日蓮その人は、自己の思想に「歴史」という重厚な権威を付与することで「正当化」をはかったのである。これ
が、後に「日蓮宗」内の大きな亀裂をうむことになるとは想像外であっただろう。


現在、大石寺門流という狂乱宗派は「大聖人様は仏様で、僧宝は日興上人さまで、法宝は御戒壇様です」といっ
て弘教拡大に励んでいるようだが、(笑)。

上記からみてもかなりおかしいのが大石寺の思想であることは明白であろう。

①なにせ日蓮自ら自己を「地涌菩薩」の再誕と主張している。(保田・万年救護本尊)

②日興上人を門下の上首とする必然性はまったく無いところに「僧宝」と立てるから妄乱と捨てられている。

③血脈相承が大事であることは思想的に事実であるが、これは信仰的内省的な問題であってこれを表に出しても
 説得力は皆無であり、かえって初心者の疑惑を招いている。

④日蓮門下で最初に「日蓮宗」を論じたのは重須の学頭であった「三位日順師」であり、本迹教義を種脱にあげ
 るもといとなったことは、印度出現の仏は権仏で「本朝の釈尊こそ真実の教主釈尊である」と論じたこである。


いじょうから、もう直観力の強い人はおわかりのように、日蓮その人の内証を理解したのは日興上人ではなくむ
しろ「三位日順師」であろう。

三位日順師が眼力を失い、盲目となって引退した後も、日興上人は重須の学頭に招請されていることから、興尊
も、日蓮大聖人の御本意を汲んでいたとはおもわれない。むしろ、日興上人は三位日順師の教説に頼る部分が
多かったのであろう。



いじょう、科学的視点から見た「日蓮仏法」の根幹を語ってみたが、これはあくまでも科学的視野のことであり
私が、現在の日蓮正宗のボケナス坊主なんどと比肩してもかなり高度な思考を備えていることを示したにすぎな
い。(爆)(爆)(爆)、


この程度の文章を理解出来るのは「花野充道師」以外にはおるまい。高橋粛道という有能な坊さんもいたが、現
在の正宗ではその能力を発揮することは不可能である。(笑)(笑)(笑)



【結論】


さて、日蓮本仏論を代表とする日蓮その人の思想は概略的に示して「科学」の視点の必要性を論じてみたが、こ
れは、「日蓮正宗」という妄乱宗派の主張とは少し違う。

なぜなら、日蓮正宗という妄乱宗派は、本仏に日蓮を建て、僧宝に日興上人を建てているからである。これは、
さすがの三位日順師も及ばなかった「自己正当化」の極みであろう。(爆笑)、

もし、僧宝に日興上人を建てるのであれぱ付随して五老僧をも建てなければ「六老定置の意義」が破壊されて
しまう。日興上人が六老の中で唯一日蓮の密教思想を理解できる立場にあったとしてもである。

五人所破抄や一跡門徒存知抄をたてに大石寺の正当性は論じられない、なぜなら他門の意見がまったく述べられ
ていないからであり、これは当然であろう。

これも云えるが、日蓮の思想にもっとも近いのはやはり日興上人である。というよりも大石寺門流の御本尊書写
の現証をみれば、大石寺の思想がより日蓮の思考に近いことは立証されよう。それは、曼陀羅の中央に経題を
描いた後に「日蓮・花押」として、あくまでも日蓮の思想を表現したのが大石寺門流であり、他の日蓮宗では
経題の直下に書主の個人的な名前を書き記して「観心本尊抄」に反対しているという事実(現証)である。

さて、ここではっきり云っておきたい。日蓮は「三国四師」を建てることで新興宗教という浮薄な印象を打破す
るために、中国天台の智顗を利用し、日本天台の最澄をつかったのである。


はなしを元にもどす、この妄乱を標榜したのが日寛師で六巻抄がその論理基準であるが、六巻抄は結論を重視し
てプロセスに不備があることは、後世の日淳師が述べているものである。がしかし、これはあくまで表徴的な
思考であり、日蓮その人は、法華経に生命を吹き込んだ釈尊として地位は理解していてもこれを標榜するこことはと
は出来なかった、というより、これをやってしまえば日蓮仏法は、仏教でなくなってしまうからである。

それで、日蓮は末法という時代設定を利用して地涌菩薩という立場から出ることはなかったのである。つまり
日蓮正宗のいう法宝=南無妙法蓮華経、仏宝=日蓮大聖人、 僧宝=日興上人という思考は、日蓮の思想に反す
るいわゆる「大暴虐」の所行なのである。(笑)、


つまり、日蓮正宗という宗派は不完全なかたちで「信仰という神話」に逃げ込んで「論理」から逃げつづけてい
たといえるであろう。して、日蓮の本意に反してかってに教義を構築したのである。(爆笑)m(_ _)ノ彡☆バンバン、



日蓮正宗というのは、まるで豊富なチンポの皮に縮こまった亀頭のようなものであり、・・・・一句うかんだ


  正宗は、余る皮こそ防禦よと

    亀頭よろしくちぢこまり、

       痴垢とたわむれ腐臭を発する


(大爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、



【付論】

日蓮は「三国四師」を重視している。

①妙法蓮華経を説いた法華経の教主釈尊

②一念三千を論じた中国の天台智顗

③大乗戒壇を説いた日本天台の伝教大師最澄

この三師に「日蓮」をプラスして「三国四師」ということは日蓮宗の学徒であれば誰でも知っている「常識的
教相」である。

これは、法華経の説者である何ものかに対する敬意であるとともに、日蓮自身が、本主釈迦牟尼仏の遣使還告と
して末法時代にあらわれることを示している

つまり、末法においても娑婆世界の教主釈尊は釈迦牟尼仏であることは、一仏一国土と云う原則からははづれな
いもので、末法の教主釈尊である日蓮といえどもこれは破壊できない原則なのである。

ゆえに、末法と時代設定に於ても、

①末法の教主釈尊とは釈迦牟尼仏である。
②末法の法華経とは南無妙法蓮華経である。
③末法の僧宝とは外用日蓮内証地涌の上首日蓮

これは原則的にはずれない。もし、僧宝に日興上人を建てるのであれば、「六老尊」をも建てるべきものである
ことは、宗祖日蓮の遺戒によって当然であろう。



つづく、






 

誰か教えて

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月30日(土)11時02分2秒
返信・引用
  もし仮に、、、、

158万円借りたとして一週間後に193万円にして返さなきゃならんとすると
年利にして何パーセントという話になるんでしょうね?

数字には弱いもので。
 

科学的視野から見た「日蓮本仏論」

 投稿者:法太郎  投稿日:2018年 6月29日(金)17時32分12秒
返信・引用
 





法華経とは、第一次大乗仏教運動の中で生まれた「空観期」の経典である。もちろんブッダの真撰では
ない。法華経と同時期の経典としては般若部の諸経典、華厳経、阿弥陀経等がある。

いわゆる「大乗非仏説」はここから生まれてくる。つまりパーリー聖典の上座部仏教(原始仏典)等は法
句経に代表される、より古層に属したブッダの思想にもっとも近いものとして研究されているものだ。


さて、科学の視座からみた大乗仏経はどの仏典であれ大乗を標榜した仏弟子たちの妄想の産物であるが
より気高い思想として知識層から好意的に見られるのは「華厳」であろう。なにせ「一微塵」の中に世
界のすべてがあり、全ての宇宙の森羅万象はひとつの微塵に集約されると説くのである。

この思考に近いのが中国に出た天台智顗の「一念三千論」であろう。一念は三千の世界へと開くことが
でき、三千の諸相は一念に収まると論じるのである。

この智顗と華厳の共通性については当然のごとく、法華経のみならず華厳の世界観の影響のもとに説か
れたもので、これを「一念三千の二経一論」という。二経とは法華経と華厳、一論とはナーガリュージ
ュナ(龍樹)の「大智度論」である。

十界互具は華厳の「心は種々の五陰を造る(趣意)」の一節を借りなければ成立しなかったのである。

さて、大乗仏教運動はこの後第二期、三期、四期とつづいて「密教」で収束し、印度では仏教は滅んで
ヒンズー教にとってかわられる。

法華経もともあれ、大乗の諸師たちの妄想からなる経典のひとつであるが、同時期に仏の「未来記」と
しての教相をはらんでいる。

これに対応したのが「日蓮」そのひとである。

おそらく日蓮は知っていたのか知らなかったのか明確な文証はないが、知っていたらしいことが伺われ
る部分がある。

※「若し法門の所詮の理を云はヾ教主の有無を定めて、所説の得・不得をば極む
  べき事なり。設ひ至極の理密・事密を沙汰すとも、訳者に嘘妄あり。(諸宗問答抄)

このように、原点の経典と翻訳された経典の相違があると論じられているが、日蓮その人は原典やその
蒐集はまったくしていない。つまり中国天台や日本天台の最澄などが使用した引用文や引用して真撰と
思われるものはこれを取る、という姿勢だったものである。


論じたごとく、法華経は大乗の仏弟子たちが妄想によって描いた経典である。どだい釈尊が空中を飛び
地中から菩薩が飛び出すなど、説話としては面白いが、これを本気で事実ですと考えるものはおるまい。

だが、この妄説の法華経は「仏の未来記」としての性格を持っているために事態はかわる。日蓮その人
が、地涌の菩薩を名乗ったがために法華経の未来記は「仏の予言の的中」ということとなり新たな命が
吹き込まれたのである。

つまり、そのままでは単なる大乗思想としての法華経は、仏説の的中という事実のもとで「仏の未来記」
としてあらたに脚光を浴び、日蓮によって新時代の経典として生まれ変わったのである。

その証拠としては保田の妙本寺に格護されているいわゆる「万年救護本尊」にたからかに宣言されてい
る通り、末法に入り仏の記別をうけた地涌の上首が出現してはじめて顕わされる本尊であるから、これ
によって法華経による「日本独自の仏教」が成立したのである。

大乗非仏説は法華経の場合は問題とはならない。日蓮その人は教主釈尊を「法華経の教主釈尊」と決判
して実在の釈尊を超越した、つまり法華経を説いた人を教主釈尊としているからである。

これで、日蓮祖判に「此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏なり(守護国家論)」とか、「釈尊ほどの仏に
やすやすと成り候(趣意)」とか、「余経も法華経もせんなし」とかは、ことごとく実相としての法華経
であり伝承としての釈尊を指して論じているのである。

法華経にあらたな生命を吹き込んだ日蓮その人は自ら地涌菩薩と宣言し、末法嫡示の法華経を示した。
これが「妙法大曼陀羅」である。ここで科学的視座から論じたいが、正・像・末の三時の弘教次第は、
当時に於て日蓮教説の展開に利用したものであり、科学的な思考からはこんなもの必要は無い。

どんな経典でも「行じ学するもの」はいる。つまり教・行・証のうち教行はどんな時代にもあるのだ。
しかし、「証」として仏の未来記を事実の上に顕わしたのは日蓮ひとりだけである。つまり教行証の三
証は日蓮の主張した教説のみに具わっているといってもよいのだ。

阿弥陀経の西方十万億土の浄土を確認することは不可能であり、華厳の宇宙観を実存として見るには宇
宙物理学が認めない。が、現世における法華経の未来記(仏の予言)を顕わした日蓮は、その内証を地涌
の義とすることは思想的に可能なのである。

これで妄想の産物であった法華経が日蓮という時代の人を得て新たに生まれ変わったこととなる。つま
り、あらたな法華経の教主釈尊の誕生である。これが日蓮本仏論の骨格である。

日蓮が「ふくろ臭しといいて黄金をすつることなかれ」と論じたのも法華経の広・略・要にたてわけ要
中の法華を「南無妙法蓮華経」と論じ自己の思想の結論と為したのものである。

ただし、仏説に法華経を捨てよという教えは無いし、娑婆世界の教主釈尊は「釈迦牟尼仏」である原理
は動かない。故に日蓮は顕わした曼陀羅を「報身如来の当体」とし、この御本尊の中に法・報・応の三
身を備えたのである。

大曼陀羅に顕わされた妙法蓮華経は法体、花押は報身、宝塔の真下には「日蓮」と顕わされているのだ。
して曼陀羅そのものは報身如来の当体とすることでなんら仏身として不都合は無いこととなる。

観心の本尊抄に「此の宝塔本師の娑婆世界に居し(趣意)」とあることを考えあわせるべきである。また
娑婆世界の下方に大きく花押が為されていることでも地涌義がおしはかられるであろう。地涌の義とは
まさに南無妙法蓮華経の教主釈尊の報土なのである。

ところでこの義は内証として論ずるには構わないが、世法に対しただちにこれを論じるのであれば論理
を優先させるべきである。


いけね、これから仕事なのだ。(笑)、このつづきはまたの機会に、ということで。





 

Re: 求めた真実の先にあるもの

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月28日(木)21時52分56秒
返信・引用
  > No.217[元記事へ]

> 真理を探求するのは結構な話である。
>
> ただし、、りんごをかじって甘いだの酸っぱいだのは誰にでも言える。
> それは小乗の悟りであろう。


※リンゴの味が小乗だの大乗だのと、どういう因果があるのかは第一の不思議なれども
 ここに「日蓮正宗」という妄乱の思考が働いているものとみえる。(笑)


> このりんごは腐ってるから食べないほうがよい。
> このりんごは甘くて栄養があるから食べたほうがよい。これが大乗の実践であろう。


※正宗独自の発作であろう。栄養学と大乗仏教との因果関係がまったく理解不能。(笑)、
 方便としても理解不能である。これは正宗の独特ないわゆる「のーらん」の類と思う。


> 真実の探求のみで終わるなら「大乗仏教徒」の看板は下ろした方がよい。

※真実の探求が出来ないでなにが「大乗」であるか、そも大乗家のいう「小乗」など
 仏教学には無い。「原始仏教=根本仏教」である。この程度は仏教学の初学生でも知っ
 ている初歩的学術用語であろう。(苦笑)、


> そも日蓮大聖人も智者となることのみを目的としたわけであるまい。
> 大聖人の御一生のお振る舞いをこそ拝すべきである。なんてな。( ^^) _U~~

※大聖人の一生の御振る舞いとはなんだ。立正安国論をはじめ「国師」とならんと画策した
 がついに失敗してしまったということであるか?。

 して、鎌倉幕府諫暁に失敗したから天長に矛先をかえたということか?。それは智者では
 なく悟らんどのような「愚昧」なものや、さらに低劣な秋元や早瀬道寧や死んだ長倉や
 クソ信徒の森常男を手本としたものか?・・・・・なんちゃって、(笑)、


 アホよ、もうやめとけ、オメーが・・・他でもいいが「日蓮正宗」なる妄乱(代表坊主が
 秋元・早瀬道寧で信者の代表が森常男)であるかぎり、オレの前に正宗を宣揚するものが
 あらわれれば、オレは持っているすべての力でそいつ等を倒すであろう。(笑)、

 オメーはよ。アルコールで脳味噌が萎縮して脳内はいつもヨサコイソーランなのだよ。
 それでいいのだ。(笑)、

 そも、正宗の妄乱宗門の中に「原始仏教」の深い哲理を学んで理解しているやつは「皆無」
 であろう。おそらく学者の花野充道御尊師もそれほどではないはずである。

 一席ぶったろうか。倶舎論と瑜伽師地論を・・・・・ってか。じつは、オレもチュートハンパ
 なのだ。m(_ _)ノ彡☆バンバン、

 あれは、むつかしい。オレでも難しいのだからオメーにはその片鱗も理解することは、

 不可能である。






 

求めた真実の先にあるもの

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月28日(木)20時40分11秒
返信・引用 編集済
  真理を探求するのは結構な話である。

ただし、、りんごをかじって甘いだの酸っぱいだのは誰にでも言える。
それは小乗の悟りであろう。

このりんごは腐ってるから食べないほうがよい。
このりんごは甘くて栄養があるから食べたほうがよい。これが大乗の実践であろう。

真実の探求のみで終わるなら「大乗仏教徒」の看板は下ろした方がよい。

そも日蓮大聖人も智者となることのみを目的としたわけであるまい。
大聖人の御一生のお振る舞いをこそ拝すべきである。なんてな。( ^^) _U~~
 

求めるものは真実

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月28日(木)19時54分52秒
返信・引用
 





信心の目的など多様に決まっている。私について云えば「真理の探究」に尽きる。

日蓮聖人の教法を「広宣流布」が目的であると信ずるものがいるのであればそれもよかろう。


日蓮聖人の修学は「日本第一の智者」となるのが目的であったから、これもまた多様性のひ
とつであろう。

※「幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、日本第一の智者と
  なし給へ。十二のとしより此の願を立つ。」


何のための学問か、何を目的に真理を追究しつづけるか。私の場合はひたすら真実とは何か?
である。


宗教はすでに、日蓮正宗宗務院・森常男・長倉教明等の世俗的道念の現証によって、正宗が
絶望的な閉塞環境にあり、現状ではじり貧傾向がやまず没落へとむかっている。

これもまた仏道修行を商法的に利用することによって得た現証といえるであろう。(笑)、

この状態で広宣流布は無理だな。そも何のための広宣流布であるか。己の研鑽も無く自己
成仏の結果も出せず、ただ広まれ広まれと題目を唱えてもカラ念仏・・・カラ題目か。(笑)、





 

松尾ジンギスカン丘珠店Ⅱ

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月28日(木)19時43分41秒
返信・引用
  今日はいつもの取引先の営業部長様と夕食を兼ねて飲み会。

ジンギスカンもいいですが、お手製のニシン漬けがまた絶品。
何度もおかわりしました。\(^o^)/

今夜は控えめに中ジョッキ4~5杯。たぶん。(^^ゞ

ボキの友達が30年前常連だったと言ってるけど、、、、?
30年以上前からやってます、、、だって。(^_-)-☆

あの頃のお姉ちゃんの顔覚えてる?

では30日、某所某時刻で。(@^^)/~~~
 

問の中に答えがある

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月28日(木)06時38分34秒
返信・引用 編集済
  ※ある人問うて曰く

あなたが信心してきた目的はなんですか?教学を一生懸命勉強してきた目的はなんですか?
これまでの人生の目的、大聖人様がこの世に出現された目的、大御本尊様を護り続けてきた
宗門の目的はなんだと思いますか?

これらは全て広宣流布という大目的の一直線上にあったものと思います。

その上で今、あなたが宗門を批判する目的は広宣流布の一直線上にある行動なのですか?


※まっすぐぶつけてみました。(^_-)-☆
 答えは飲みながらでいいよ。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
 

今日(25日)のランチ

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月26日(火)03時08分56秒
返信・引用 編集済
  石狩の 美国といえる 停車場の 柵に干してありし 赤ききれかな


石川啄木の詠んだ美国駅、その駅前、ラーメンの宝龍。
北海道各地に宝龍あれど、ここが一番うまいと言われる。
悟らんどは特製チャーシュー麺(醤油味)、家内は塩ラーメン。
ただしお奨めは味噌ラーメンらしい。(^。^)y-.。o○

そう言えばこの屋号、、、どこかの寺号に似てるなあ。(^_-)-☆
 

ば---か。

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月26日(火)02時32分12秒
返信・引用
  悪口ばかり言ってると奢ってあげないよ。(^_^メ)
 

アルコールの効用について、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月25日(月)20時23分14秒
返信・引用
 




以前、医者とキャンプをしたときに聞いたはなしである。

アルコールというのは摂取すると脳味噌が縮んでいくそうである。

この話を聞きながらのウィスキーはひどく複雑な味がした。(笑)、




悟らんどなんぞは、飲み過ぎて相当に脳味噌が縮んでいるのであろう。(爆)(爆)(爆)

ついでにチンポも縮んだままEDになって謗法現証が明白ではないか。(爆)(爆)(爆)







 

Re: 謗法厳戒二人飲み会

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月25日(月)20時00分31秒
返信・引用
  > No.209[元記事へ]

> 6月30日、19時くらいから空けておいてね。
> 詳細は電話で。


※あたまが悪いくせに、酒だけは三人分くらいは飲むのだからさすがに日蓮正宗の信徒である。

 祖判もろくに読めない、仏教の専門書も読めない、日蓮聖人が開目鈔に人の修学すべきもの
 三あり、儒・外・内これなり、と云っている指南に反する謗法・・・というのはきつすぎる
 か。

 乏脳味噌の悪頭が喰うことと飲むことは人一倍なんだからな。あきれ果てて日蓮聖人もあの
 世で嘆いていよう。ま、もっとも日蓮聖人が嘆いているのはオメーならず日蓮正宗全体に
 対して嘆いていようから同じことだがな。(爆笑)、





 

謗法厳戒二人飲み会

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月24日(日)21時06分56秒
返信・引用
  6月30日、19時くらいから空けておいてね。
詳細は電話で。
 

北のたまゆら

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月24日(日)09時36分53秒
返信・引用
  天然温泉なのに440円。\(^o^)/

スタンプ10個で一回入浴サービス。昨日で7個目ゲット。(^^)v

単身先のお風呂は窮屈で、、、、やはり膝を伸ばしてゆっくり浸かりたいもんですね。

舛添さんの気持ちがわかるわ。(*^。^*)

今日も行こうかなっと。?
 

今日のランチは一人食べ放題

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月22日(金)12時24分58秒
返信・引用 編集済
  新道沿いのジンギスカン食べ放題の店、くうど。じんじんとも言います。

この店の特色はジンギスカンの定義が羊肉だけでなく鶏肉・豚肉に及ぶことです。

つまりジンギスカン食べ放題といっても三種類のジンギスカンが漏れなくついてくるという。。。

これで、ランチタイム45分間で税込1078円。\(^o^)/

もう一つの特色は特製のお鍋にあるんだけどそれは来店してのお楽しみ。(^。^)y-.。o○」


追伸・・・・・ランチタイムに行くとお姉ちゃんがとても美人。
 

結局は、、、

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月21日(木)21時00分31秒
返信・引用
  日蓮正宗のご本尊が恋しいのね。
いらないなら引き受けたのに。
 

しかしなんだな、

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月21日(木)20時58分28秒
返信・引用
  >この御本尊を持っているものは、日蓮正宗が信徒としての力量を証明したということなので
ある。


妄乱だのと日蓮正宗をこき下ろしておきながら、力量を証明とか、、、、、
完全に悩乱してるね。(^。^)y-.。o○
 

Re: あほか。

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月21日(木)20時53分25秒
返信・引用
  > No.203[元記事へ]

> 下の話は法太郎でもまっちゃんでもない。
>
> よく読みたまえ。もう酔ってるの?
>
> 悟らんどの実体験である。
>
> ちなみに悟らんどは日如上人の特別御形木御本尊と御守り御本尊を戴いています。



※あそっ。では、私の御本尊の師範のほうが上だのう。これで、私と悟らんどの「師弟子関係」

は確立した。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、

私の御本尊は、悟らんどの師匠が下げ渡された御本尊である。(爆笑)、



おい、私の弟子よ。いつでもあそんでやるぞ・(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、



 

あほか。

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月21日(木)20時38分37秒
返信・引用
  下の話は法太郎でもまっちゃんでもない。

よく読みたまえ。もう酔ってるの?

悟らんどの実体験である。

ちなみに悟らんどは日如上人の特別御形木御本尊と御守り御本尊を戴いています。
 

Re: むかーし、昔のことじゃった。

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月21日(木)20時32分20秒
返信・引用
  > No.201[元記事へ]

>
> 後悔もしていない。人が救われるにはどうしてもご本尊が必要なのだから。
>
> ところで、さっき電話で話したとおり、
> 30日あたりで白石区の某所・某時刻で飲んだくれましょう。ヽ(^o^)丿
> 近くなったらまた電話します。
>
> 山菜取りでミチに迷わないように。信仰で道に迷ったように。m(_ _)ノ彡☆バンバン



※(^ー^;


なんなんだ、コイツ。この野郎の小説は、すべて小説という虚構の世界の、いわゆる「妄想」

であり、私が「悟らんど」と知り合ったのは「法太郎」として日蓮正宗歴代最強の「大論客」
として名を馳せいた時代であり、私に「弟子煎りしたい」として中空知のE市から私に面談を
求めてきたのが最初(元初)であり、それ以降の付き合いである。


ま、こいつを怒らすと、女房がうるさくて、私にガンガンと文句を言い続け、その間にこやつ
は私の大事にしていた酒をがぶがぶと飲み続け、しかも、自動車を運転して事故もおこさず
自宅にかえるような変態なのである。(苦)、


そんな野郎に、私は世話になった覚えはないし、まして御本尊を再下附されたという事実も
ない。

そも、私の所持している日蓮正宗の御本尊は、日顕上人の「特別御形木御本尊」と常に身に
拝する「御守り御本尊」なのである。

再度云う。私の日蓮正宗の御本尊は「特別御形木・御守り御本尊」の二種類であり、この野郎
が云うごとくものではない。(苦笑)、


この野郎は、ネットという世界をよく知っているのである。故に、勝機を得るためにという
か、「性器を得る」ために、ホラを吹いたのである。(苦笑)、



おら、「悟らんど」よ、オマエなんぞのような講賊の上位にあるものは見たことはなかろう。

「御守り御本尊=鎮護御本尊」というやつだ。こんど、見せてやるかい。

この御本尊を持っているものは、日蓮正宗が信徒としての力量を証明したということなので
ある。

キミがこの御本尊を持つのは、おそらく、永遠にあるまい。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、






 

むかーし、昔のことじゃった。

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月21日(木)19時33分14秒
返信・引用
  I市のC寺に一人のおとこがおったそうじゃ。

その男は信仰心はともかく素行の悪さが問題じゃった。(-_-;)
その素行の悪さから住職・講役員から度々責められ、何をトチ狂ったかご本尊をお返しすると言う暴挙に出おった。\(◎o◎)/!

男はすぐにその過ちに気づきご本尊を戻してくれるように願い出たがそれはすんなり聞き入れられるものではない。悟らんども間に入ったがこればかりはどうにもならん。
男は三年耐えた。

だが自業自得とは言え、男の願いは遂に叶わなかった。人の辛抱にも限界はある。
ここで退転するか自殺するかまで追い詰めるのが仏の慈悲であろうか?
悟らんどが取った手段はI市C寺からF市H寺に移籍させご本尊を再下付させることだった。

これを悟らんどが独断で行ったことにしてもよい。
要は悟らんどは人を救いたかっただけだが、出家者の保身を見たのはこれが初めてではない。

当の男はその後、悟らんどにも言わずに日正寺に移籍していった。
なんか利用され続けて馬鹿ばかりみてる悟らんどだが、だからと言って信仰心は微動だにしない。
人がどうあれ、僧侶がどうであれ、まして講員がどうであれ自分とご本尊、そして日蓮大聖人様との久遠の縁に思いを馳せるのみ。

後悔もしていない。人が救われるにはどうしてもご本尊が必要なのだから。

ところで、さっき電話で話したとおり、
30日あたりで白石区の某所・某時刻で飲んだくれましょう。ヽ(^o^)丿
近くなったらまた電話します。

山菜取りでミチに迷わないように。信仰で道に迷ったように。m(_ _)ノ彡☆バンバン
 

大石寺門流で作成された「偽書」である「法華本門宗要抄」

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月19日(火)21時26分7秒
返信・引用
 





おそらく、日蓮門下で最初に偽作されたのはこの「法華本門宗要抄」であろう。この書は日目上人の時代に作成
された大石寺門流が作成した偽書であるが、史書としての内容も含んでおり、後半の宗義内容よりも史学的見地
から極めて重要な事柄を含んでいる。


他門・他派で論じられているが、竜口における火球伝説は日蓮の正式な祖判にはなく、後世の伝説にすぎない、
と云われているが、「法華本門宗要抄」では、そのとき、まさしく日蓮聖人が斬首されようとしたときに、江ノ
島方向から「火球」が飛来し、裏山に激突して煙りがあがり周辺にただよった、という記述があり、極めてリア
ルな表現となっている。

この書などは、偽書として捨て去るのではなく、史的価値から研究されるべきものであろう。私はその任ではな
いから、このあたりでやめておくが、

かく云うほど、日蓮宗(正宗)には未だ研究の余地がのこされた課題が山積みといってよいであろう。将来的にこ
のような科学的な研究が正宗に於て実行されるとは思わないが、日蓮宗の学徒であればじゅうぶんな研究課題と
なるはずである。

これは科学的な側面からの日蓮教学へのアプローチなので、日蓮正宗はひっこんでおれ。科学の分野はオマエた
ち正宗の出張る分野ではない。(笑)、





 

日蓮宗(正宗)という妄乱について、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月19日(火)20時56分20秒
返信・引用 編集済
 





日興上人は云う、宗祖の御本意は「立正安国論是れなり(原書)」と。日蓮の弘教は立正安国論にはじまり、立正
安国論に終わる、と。

蓮祖は晩年の建治年間に再度、立正安国論を執筆して例証を補強されている。これが「建治の広本」である。


そも、立正安国論は「正嘉の大地震」を機として書かれたものである。であるならば、今般の東北大地震に於て
宗門の公式見解として立正安国論の精神を説くべきではないのか?。


これが出来ないで日蓮宗も正宗もクソもあったものではなかろう。悟ランドのように、いっぱしに日蓮の眷属を
標榜するのであれば、堂々と日蓮の根本思想である立正安国論を説くべきではないのか。


ハッキリ云おう。日蓮宗(正宗)などは、宗教を飯の種にしている妄乱の徒の集団である。もし日蓮仏法の正しい
継承者であると自認するのであれば、立正安国論の精神を声高に論じてみるがよい。


これが出来ない日蓮宗(正宗)は、とてもじゃないが、日蓮の正当な継承者とは云えまい。そも、今般の大地震に
おいて立正安国論を説いたのは宗教者ではない「宗教学者」である。(週刊ポスト)

このように「科学」の世界からは簡単に立正安国論を時期にあわせて論じることが出来るのである。論じること
は出来るが、衆生救済の菩薩行は出来ない。

もし、日蓮宗(正宗)の中で真に地涌菩薩の自覚あるものがいたら、世法からなんと云われようと日蓮の精神を堂
々と論じたであろう。もちろん世間的には顰蹙ものであろうが、その人が自ら災害の中に飛び込み、被害に遭っ
た人々とともに泥と汗にまみれながらであれば、聞く耳を持つ人がいるに違いない。

そも、地涌の菩薩とはなんぞや、「この人世間の中にあって(趣意)」と云われるように、雲の上の人よろしく、
庫裡でふんぞり返っている「バカ僧」とは違い、自ら世間に飛び込んで衆生と「同苦」し、同じ目線の中で衆生
に法を訴えてゆくものではないのか?。

正宗の宗務院のバカ僧のごとく、在家の〝気違ひ〟に踊らされ狂い舞うすがたが地涌の菩薩のすがたであるか。
ま、所詮は日蓮正宗なる宗門の真実のすがたとはこんなものであろう。

衆生の苦しみを知らず教条的に法を説いて供養のお金を在家からふんだくるのが「正宗商売」というものであ
ろう。(笑)、

以上、現在の「日蓮正宗」なる宗門には蓮祖の精神も日興上人の精神の一分も存在しないことは明白である。(苦笑)、


追伸、正宗のばやい、「地涌ノ菩薩」というよりも「痴涌ナ菩薩」といふべきであろう。



(えへへ)




 

ほれ、ほれ、そこだよ。(笑)、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月19日(火)18時58分36秒
返信・引用
 




>まー、これも釈尊の真撰ではないけれどね。くす。


※ほれ、認めたではないか。(笑)、しょせん、法華経といえども「教主釈尊」の真撰ではない。

むしろ、釈迦牟尼仏の思想を時代相により、或は衆生の気根により(対機)発展させたというのが
仏教の特質であろう。

同じく、日蓮仏法にも云えるのである。蓮祖の本意にかかわらず後世の弟子たちが牽強付会と
いうか、結要付嘱というか・・・だいぶ違うけどナ。(爆笑)、

その立場から虚言を弄して築き上げてきたのが正宗であり仏教なのである。例えば真宗の
歎異抄などもその類であろう。

むろんそれが悪いということではない。これが宗教のもつ本質なのだ。より高く、より勝れた
ものへと進化してゆく。これこそ「思想」なのではないか。

私は「両巻血脈」を否定するものではない。しかし、その成立に信仰面から妄信するものがいる
のであれば、科学の視点から遠慮無く反駁するであろう。

だから云うのだ。信仰というのは固くこころのうちに秘めておけ、と。

おわかりか、おバカいの。





(エヘヘ)




 

止みね、善男子てか

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月19日(火)04時36分3秒
返信・引用
  まっちゃんは善男子ではないけれど、、、、

止舎利弗。不須復説。所以者何。佛所成就。第一希有。難解之法。唯佛与佛。乃能究尽。諸法実相。

まー、これも釈尊の真撰ではないけれどね。くす。

そんなことを言っていては仏教は存在すらし得ない。
釈尊は一文字も残していないのだから。

とどのつまりは仏教の本質を理解していない蒙昧の邪見でしかない。
諸法の実相を究尽しそこなった習い損ないの学者未満ってとこだね。

とは言え、初めから言ってるようにこの掲示板でまっちゃんはもちろん誰とも宗教について語り合おうとは思っていない。まー、ついつい悪い癖が。。。

真撰主義者といえば千葉の妙法寺(離脱寺院)の空き缶さんがそうじゃなかったかな?懐かしいね。もう一昔前になるかな?
まー、まっちゃんの場合過去の発言がブーメランのように帰ってきてもうズタズタだからあえて悟らんどが利剣を振るうまでもありません。
もう既に勝負はついているのだから。

後は悟らんどはまっちゃんの無事退転を見届けるのみ。
関係各所に報告しなきゃならんからね。m(_ _)ノ彡☆バンバン

それはともかく

>もうよせ。悟らんどよ。飲もう、酒はよいものだ。五官で味わい五官で酔い、人生を
 笑いとばそうではないか。

賛成\(^o^)/
前に16日頃と言ってたけどちょっと忙しかったので、、、
月末頃にしましょ。電話します。
白石南郷通りのホルモン食堂にしますか。(^_^)/~
東苗穂の味覚園もいいですね。ここは2000円相当のサービス券持ってるし。(^。^)y-.。o○
 

すべての正宗系バカ信者とバカ僧へ告ぐ、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月18日(月)20時07分50秒
返信・引用
 




オレにかまうな。ハッキリいっておくが、日蓮の哲学(仏法)など、かんたんに破壊することができる。


むろん。オレさまである。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、


悟らんどよ、キミにはオレと張り合うだけの能力はない。むしろ正宗の杜撰さをあばき
だすだけである。


止めよ。すべての正宗のバカ出家とバカ檀家よ。オレと議論しても得るものはなかろう。

むしろ、日蓮正宗という宗派がいかに狂乱の宗派であるかを露呈するだけである。

よく理解しているはずである。

なんせ、何人かの日蓮正宗のクソ坊主の首を飛ばし、何人かの日蓮正宗の坊主を否定
した過去の実績があるのだからナ。(笑)、


オレにしても、いまさら日蓮正宗の妄乱教義にはかかわりたくないのだ。(笑)、


のう、宗教論争など、なんのやくにもたたん。もちろんEDの勃たんのと同じだ。(爆笑)、


もうよせ。悟らんどよ。飲もう、酒はよいものだ。五官で味わい五官で酔い、人生を
笑いとばそうではないか。

私にとって日蓮正宗などどうでもよいことで、もし、だれかが、日蓮正宗は最高の哲理であると
のべたのであれば、それもどうでもよいのだよ。(爆笑)、



ではないか?、


すべての人類が日蓮正宗に帰依すれば、日本国から地震が無くなるのか?、すべての人が日蓮正宗に帰依すれば病死の苦しみは消えるのか?


しょせん、宗教などは、ごまかしの哲学なのである。(苦笑)、





 

人類学からみたアイヌ民族、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月18日(月)19時51分26秒
返信・引用
 





また、わからなくなってきた。アイヌ民族と縄文人には三千年のひらきがあるということが核DNAによって確認
された。

ようするに、北海道に縄文人が盤踞する以前にアイヌ民族は、三千年前に北海道に帰着したというのである。

しかし、これではおかしくないか?

ようするに石器時代に、マンモスや象を追ってきた「マンモスハンター」は絶対的に存在していてそれはあきら
かに「モンゴロイド」なのである。

モンゴロイドは、ロシアのアルタイ地方で極寒の冷気対応して進化し、一重まぶたと黄色い肌を獲得した人種な
のである。

このモンゴロイドは石器時代に東方を目指しベーリンジアを経て旅立った北米のエスキモーやインディアンとな
り、南方を目指したものは北海道から日本本土に帰着したのである。

北海道にマンモスや象の化石が発見され、縄文時代の「北黄金遺跡」から出土した縄文人のDNAと北米の先住民
とのDNAは近似値をしめしているのである。

つまり、エスキモーとインディアン、日本人は同種族であり、その先祖は朝鮮にも北系中国とも一致しているの
である。ま、形質的にではあるが。

が、縄文人というのは上歯と下歯がツメキリのように合い、耳垢が湿っているという特質があるが、これは人類
学からいうと、ホモサピエンスとは別種の「原人」に近いものなのである。

ますます、縄文人というのがわからなくなってきた。今後の研究成果がまたれる次第である。





 

「悟らんど」なる痴妄の愚論を笑う、(苦笑)、

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月18日(月)19時36分17秒
返信・引用 編集済
 





百六箇抄か?(笑)、


百六箇抄は日蓮の真撰ではない。いわゆる「後世に成作された偽書」である。  こんなものを両巻血脈といって
珍重して、日蓮の真蹟とあつかって講義し、「我れ日蓮なり」とセンズリよろしく講義なんどする心底が理解で
きんよ。(苦笑)、


百六箇抄は、対告衆の個々の質疑に於て記された「応用的」なものであり、日蓮法門の根幹を為す「下種仏法」
の決判とおもわれがちだが、残念なことに堀日亨上人が、日蓮の作品であることを否定しているのである。

いわゆる宗学要集の「二線分」というやつである。これで百六箇抄が日蓮の真撰であることは明確に否定された
のである。

またこの書には脱益の五一に誤りがあり、じつは「五二の段落」があるのである。ようするに「脱益文上」の項
に「久遠は下種、霊山は得脱」が一節であり、脱益文上を合すれば「百七箇抄」となるのである。(笑)、

後世にこの書を「百六箇抄」と名付けた坊さんはそうとう文書がを読み解くことができない悩乱坊主だったので
あろう。そして、現在の日蓮正宗・大石寺門流もこの悩乱を踏襲しているというのが現状である。(苦笑)、


先ず、百六箇抄に記されている言語の特異性として「久遠元初」ということばがあるが、日蓮の祖判にこの言語
は一字も無い。

日蓮自身は生涯的に「久遠元初」に対応する言語としては「本初」と「元始」である。おわかりか?おばかい
の。(苦笑)、

日蓮宗祖の祖判ではまったく「久遠元初」という言語はつかわれておらず、この言語が使われだしたのは、日蓮
教学が天台比延山に影響を与え始めた天台本覚思想の「本理大綱集」以降であう。

この中に天台本覚修行として、十界の曼陀羅にそれぞれ礼拝することが記されているが、これは日蓮宗思想が
日本天台にぎゃく輸入されたものとかんがえてよい。

つまり、百六箇抄は、日蓮の滅後に成立したいわくつきの「偽書」なのである。が、百六箇抄は日興門流の教学
的体系のもととして作成されたものであればたとえ日蓮に仮託されたものであった偽書であっても大石寺門流の
相伝書としての価値を失うものではなかろう。


この書の原案はおそらく六老日向の弟子であった「日澄」師ではあるまいか。日澄師は師である日向師の化義や
化体を学ぶとともに、他の五老僧にも法論をしかけた「教傑」であり、日興上人と本迹問答をしたようで、

興尊の言葉尻をとらえ、本門の法華経と迹門の法華経というのであれば「五十六品になり候」と、興尊のケツを
まくった人であることから、かなりの剛胆な人柄であり、大胆な発想の直観的な哲学者であったものであろう。

この日澄師は後に師である日向師を捨てて日興尊者に弟子入りしている。しかも一番弟子であった「三位日順」
をともなってである。

問題はこの三位日順という坊さんであるが、師である日澄師をうわまわる極端な「原理主義者」であったようで
門下で最初に「日蓮宗」を名乗ったのはこの人であり大石寺門流である。

さらに、印度生誕の教主釈尊は権仏であり本仏は日本に誕生するという「日蓮本仏論」をぶちあげたのも日順師
である。

さらにいえば日澄師は、日興尊者に教えられた青天の霹靂である「本迹思想」にのめりこんだようで、日順師の
雑記によれば、「本迹要文三帖」をのこしたのである、が、この書は現在には伝わっていない。かなりの重書だ
ったようで、よほど大事にされて紛失でもしたのであろうか。

で、百六箇抄の書式に似た文章を三位日順師がのこされている。これは三位日順師が百六箇抄を拝受する立場に
あったもので、ま、当然だが日順師は重須の興尊のもとで学頭として教学のうえで補佐された方であったからと
うぜんではあるが、ズバリこの書の起草者は「日澄師」であろう。

興尊の、残された書物には明白な「本因妙思想」や「下種仏法思想」の痕跡はない。たとえば原殿書に於ても
日蓮思想の根幹を為すものは「立正安国論これなり」と記されているとおりである。

日興上人というのは目から鼻に通るような切れ者ではなく、基本を忠実にまもる実直なひとがらであったから
実相寺改革に奔走されたものであるが、これらから日興上人は「天台密教」の学僧であったことが知られる。

日蓮聖人の三大秘法や曼陀羅法門はまったく密教思想のものであり、ゆえに日興上人はこの法門を観解できるた
ちばにあったものである。


本因妙抄は、これも日蓮滅後の成立によるがかなり滅後に近い時期の成立であることは、本因妙思想は日蓮の明
確な思想であることを把握していた者によるズバリ、日蓮思想を掌握していたものによる製作であることは論を
またないものである。

この時期に「日蓮本仏論」をぶちあげたのは三位日順師である。して門下の最初に「日蓮宗」を名乗ったのも三
位日順師なのである。

おそらく、本因妙抄が先に出来上がりその後に百六箇抄が仕上がったものであろう。が、これは重須の興尊を無
視して製作されたものではなく、むしろ重須の日興上人との議論によってメモランダムに書かれたものを後世に
体系化したものと考えてよいと思う。


ゆえに、科学を無視して出来上がった「顕師」の百六箇抄講義などなんら意味はなく、値段に適した内容を持つ
ものではない、ということを云っておきたい。(笑)、





 

書籍紹介

 投稿者:悟らんど  投稿日:2018年 6月15日(金)19時23分36秒
返信・引用 編集済
  大日蓮出版社  日顕上人著述

 百六箇種脱対見拝述記  4860円

 三大秘法義       3240円

 寿量品説法 上下各   2160円

極理師伝の大仏法がこのような安価で学べることはまことに有難いことであります。<m(__)m>
ただしこれらは僧侶を対象に書かれていますので少々難解です。
それに対して

 妙法七字拝仰 上下各  2057円

こちらは素人向けに書かれているのでまっちゃんにはお薦めです。


>そこはナ。オレが三十年前に常連だった店だよ。(苦笑)、


30年前に出禁になった伝説の客がまっちゃんでしたか。\(◎o◎)/!

そのころはあのお母さんがおねえちゃんだったころね、うふ、

時空を超えて兄と弟(強敵と書いて「とも?」)が同じ店の常連になるなんて素敵じゃないですか、( ^^) _U~~


 

あほう。

 投稿者:松木孝嗣  投稿日:2018年 6月15日(金)18時17分11秒
返信・引用
  > No.191[元記事へ]












> 余計なお世話ですが確かにくだらん学芸本や歴史本に1500円払う気にはなれません。
> 焼酎なら4リッター買えて5~6日は至福の時が過ごせます。

※ほほう、くだらん学芸本とは、日顕師の百六箇抄とか本因妙抄とかの講説か?(笑)、



> ところで今日のお昼は松尾ジンギスカン丘珠店\(^o^)/
> と言ってもお昼ですからチャーシューメンのメンマ抜き税込720円。
> 安い、うまい。なんと言ってもチャーシューが絶品。

※ジンギスカン屋でラーメンとは安いあがりだのう。(苦笑)、


> ここにはジンギスカンも食べに来ますけどね。
> お馴染みさんです。(*^_^*)


※そこはナ。オレが三十年前に常連だった店だよ。(苦笑)、





 

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