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弁慶の力釘

 投稿者:uzi  投稿日:2014年 3月21日(金)08時30分16秒
返信・引用
  吉水神社にあります。
掲示によると、弁慶が親指で釘2本を岩に打ち込んだそうです。
最初行った時、コインが沢山置かれていて、釘がどこにあるのか分かりませんでした。
二回目に参拝したおり、釘の頭を確認することが出来ました。(写真)
豊臣秀吉が「力をもらいたい・・・力を!」と釘にふれたと書いてありました。
あれ? 釘に触れたってことは、信仰の対象は岩ではなく釘?

「お呼びでない? お呼びでない?! こりゃまった失礼しました!」
(植木等さんのように退場致します。)
 
 

サイト更新

 投稿者:時空少女  投稿日:2014年 3月20日(木)07時39分59秒
返信・引用
  「赤岩」と「白岩」をアップしました!

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/isi.htm

 

社宮司社と砥鹿神社

 投稿者:PONTA  投稿日:2014年 3月 6日(木)05時23分58秒
返信・引用
  興味ないかもですが、本日アップしました。
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/jtt.htm

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/yamato.htm

 

Re: 日本武尊の正体

 投稿者:PONTA  投稿日:2014年 3月 6日(木)05時21分24秒
返信・引用
  > No.1075[元記事へ]

チェリーさんへのお返事です。

> PONTAさんへのお返事です。
>
>  建稲種は尾張氏ですよね。ヤマトタケル東征の時の副将軍の人ですね。あの内々神社に祀られているという…なるほど、その人ですか。考えてみますね!
>  誰にせよ架空の人物とは思えないですよねぇ。でも複数の人物を合わせたのならば、ありなのかなぁ…
>

『古事記』と『日本書紀』に全く同じことが、真実だけが書いてあれば苦労しないんだけどな。

日本武尊は、「複数の人の業績を合わせて作った架空の人物」が学説で、最新の学説は(まだ仮説の段階で定説になっていませんが)「日本武は征夷大将軍と同じで皇軍の大将の称号」です。
日本武尊とか聖徳太子を架空の人物にしちゃうと、その子の仲哀天皇や山背大兄王は誰の子?ってなっちゃうのでまずいと思う。
「小碓命と厩戸皇子は実在の人物で、その2人にいろんな人の業績をくっつけた」ならOK!
景行天皇の西征と建稲種の東征を小碓命にくっつけて、日本武尊って偉大な人にしちゃえばOK!

あとよく分からないのは、尾張氏。
私の仮説は、・・・・
天火明命がA、B、C、・・・8つの同族(子孫)を連れて来て、尾張地方に配置した。
北西(一宮市)のA(製鉄業者)は丹羽氏とくっついて東に領地を広げ、
北東(春日井市)のB(須恵器製造業者)は西に領地を広げていき、
北(小牧市小針)でAとBが合体して「尾張氏」と名乗り、南下して物部氏と合体。
南(星崎)のC(製塩業者)は北上して大高へ。そして熱田で尾張氏と合流して尾張氏のメンバーになった。
つまり、私の説は、「尾張氏=A+B+C+丹羽氏+物部氏」です。(同じことを言ってる人がいたらごめんなさいですが。)
この説が正しいかどうかは考古学者ならすぐ分かると思う。てか、考古学者に正しい話を聞きたいです。
考古学には詳しくなくて・・・先日も尾張地方の尾張氏関係の古墳を時代別に並べたら、前期と後期の古墳は見つかったけど、中期の古墳が皆無。どういうこと?

石と関係ない話ですみません。
石の話は↓
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/isi.htm
リンクさせていただきました。

春休みは、ガンガン活動して、サイトを充実させたいです。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/yamato.htm

 

Re: 日本武尊の正体

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 3月 6日(木)00時05分37秒
返信・引用 編集済
  > No.1074[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

 建稲種は尾張氏ですよね。ヤマトタケル東征の時の副将軍の人ですね。あの内々神社に祀られているという…なるほど、その人ですか。考えてみますね!
 誰にせよ架空の人物とは思えないですよねぇ。でも複数の人物を合わせたのならば、ありなのかなぁ…

 

日本武尊の正体

 投稿者:PONTA  投稿日:2014年 3月 5日(水)00時24分4秒
返信・引用
  アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりといいますから、大碓・小碓の双子を想起させますね。
個人的には日本武尊=建稲種だと思いますけどね。建稲種は、船に乗っていたら、白鳥が飛んできて、捕まえようと思ったら、船が転覆して死んだ人です。で、白鳥は飛び立っていく、死体は(すぐに)見つからない。死んで白鳥になったと思われる。
『日本書紀』に建稲種は1回だけ「建稲種の子孫の・・・」と出てくる。こういうのが怪しい(笑)。卑弥呼=天照大神だから、『日本書紀』に卑弥呼を登場させられなかったという説と同じ論理です。
学説では、日本武尊は複数の人の話を合わせて作った架空の人物ってことですけどね。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/yamato.htm

 

Re: ごぶさたしてます。

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 3月 4日(火)23時29分24秒
返信・引用
  PONTAさんへ

 レイラインを調べていて、阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)がヤマトタケルと同じ人かもしれないと思いました。

 トンデモ話のブログですけど、http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/の「天若日子(あめのわかひこ)の山」にまとめてあります。

 お暇な時に覗いてやってくださいね!
 

ごぶさたしてます。

 投稿者:PONTA  投稿日:2014年 3月 4日(火)02時30分16秒
返信・引用
  最近は、ヤマトタケルと尾張氏にどっぷりで、
巨石はごぶさたです。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/yamato.htm

 

(無題)

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 2月15日(土)19時36分1秒
返信・引用
  チェリーさん、

本宮山と尾張大國霊神社のラインは既に検討済みだったのですね。
しかも、岩崎山の熊野神社をラインが通っていたとは…。
ここには昨年行きましたが、そこまで気が付きませんでした。
とても参考になりました。有難うございます。
 

(無題)

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 2月14日(金)23時02分55秒
返信・引用 編集済
  MURYさん

 はい、ぶつかったのは「赤岩大神」の社殿のほうです。ピンポイントです。
 MURYさんのおっしゃるとおり、原始的な祭祀場として申し分ないです。樹木がなければ、とんでもなく見晴らしの良い場所のはずです。
 いままで養老山地にあまり注意を払っていませんでした。山頂部に祭祀されたらしい場所がないからです。でも、やはり山麓になる「行基寺」にも今年行ったのですが、ここもいい場所だったです。やはりとんでもなく見晴らしの良い場所で、「尾張」が一望のもとでした。「尾張」のすぐ西に横たわっているんですものね。養老山地をもっと調べてみようと思います。南端は多度山ですしね。

 真清田弘法を調べるべく、名古屋市鶴舞中央図書館・小牧市図書館と、会社帰りにわずかな時間ですが、「日泰寺」の資料をいろいろ調べたのですが、記述は皆無でした!!見方が不十分なのかもしれませんが、覚王山のパンフレットに少し書いてあるだけで、それも現地説明板を略した記述があっただけです。図書館にある書籍レベルでは難しいのかなぁ…

 「名古屋今昔写真集 第2巻(樹林舎)」に日泰寺の池(放生池=上姫ヶ池)の写真がありましたので、これを掲示しようと思ったのですが、許可が必要なようでした。小さな島らしき姿が写っていましたが、祠まで確認できないです。


酔石亭主さん

 尾張本宮山からのラインは本当に多いです。尾張大國霊神社と結ぶラインについては、拙ブログ「地図でつなぐ聖地の旅 とっても長いプロローグ1 その2・その3」で取り上げていますので、そちらをご覧いただければ幸いです。

 http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/

 間に古墳や、岩崎山の巨石地帯が乗ってきます。遥かな昔に新聞記事で見つけたラインです。尾張本宮山の向こう側にまで延びていることを発見したのですが、後世に延長されたという印象を持っています。このラインについては、夏至の日の日の出に向かって引かれた直線かもしれません。何かをお教えできるわけではありませんが、見てやってくださいね! 
 

真清田弘法

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 2月14日(金)19時35分50秒
返信・引用
  MURYさん、

霧はまだ晴れませんが、的は絞れているのでいずれ明らかになると思います。

チェリーさん、

本宮山からのラインに関して、本宮山の奥宮に祀られるのは爾波氏の祖・大荒田命であることから、以下のように考えています。

爾波氏は氏族の祖である大荒田命を神体山である本宮山に祀り、垂仁天皇27年8月、麓に新宮を造営して、和魂を遷座させたのが尾張国二宮・大縣神社となります。大縣神社によれば、本宮山を奥宮、大縣神社を里宮、田縣神社を田宮とする考え方があったとのことです。よって、本宮山から大縣神社、田縣神社を結ぶラインは神の通り道であり、尾張北部の鬼門ラインとなりそうです。(私の場合、ラインを何度何分何秒まで厳密には考えておらず、多少のずれは気にしていません)

一方尾張大國霊神社の宮司によれば、本宮山を奥宮、大縣神社を里宮、尾張大國霊神社を田宮とする考え方があったとのこと。理由は本殿脇にある磐境が本宮山の方向に向かっているからで、本宮山方面から移り住んだ人たちが本宮山に向かって礼拝をしたためとされます。となると、尾張北部の鬼門ラインはそのまま尾張大國霊神社まで伸ばせることになります。私は疎いのですが、カシミール3Dを使うと本宮山から尾張大國霊神社まではどんなラインになるのでしょうか?ご教示いただければと思います。
 

(無題)

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 2月13日(木)20時55分44秒
返信・引用
  >酔石亭主さん

ご丁寧に教えていただきありがとうございます。
私が日泰寺に行ったときにも、僧職は全員出払っていて、庫裏に事務員のような女性の方がいました。大きいお寺ですから、組織的なんだなあと思ったのと同時に、この方に聞いても厳しいだろうなあと思って私は聞かずじまいでした。
真清田弘法の質問に対して、龍神石の答えを返すあたりが、確かに霧が晴れない感じです。

龍神石返還は真清田神社の働きかけと云うより、信者の女性数人が働きかけていたようで、真清田神社自体は返還という意識はないのだろうと思います。来るもの拒まず、去る者おわず的な?

>チェリーさん

あの赤岩大神がぶつかってしまいましたか。
確かに龍くくりで共通していますね。
赤岩大神は社殿のある場所がのっかかりますか?それとも、奥の院の岩があるほうに当りますか?
赤岩大神・・・新しそうですよね。でも、立地的には山裾谷間川沿いで、原初的な祭祀場の選地としては申し分ないと思っています。
 

閑話 リュウの道

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 2月11日(火)22時22分13秒
返信・引用 編集済
   あの~…あまり根を詰め過ぎると、皆さん疲れてしまいますので、ここで一息入れるお話を。

 私、よく尾張国一宮の「真清田神社」と、頂上に尾張国二宮の大縣神社の奥宮がある「尾張本宮山」とを直線で結ぶと、「青塚古墳」の真上を通るという話を持ち出すんですが、これは、すごくわかりやすいからです。そういった、ラインを使って位置を決めることが本当にあるんだという、二つの重要な「聖地」を結んでその間に古墳を造ることがあるんです、といったような説明ができるので、便利だなぁと、そう思ってました。

 だから、延ばさなかった。本宮山から真清田神社本殿への角度も 259.9°で、注目しなかったし…

 それがですねぇ、延ばしたんです、本宮山から。すると、あったんです!「聖地」が。
 何とそれが、「赤岩大神」だったんです。養老山地にぶつかるところに「赤岩大神」の社殿があったのです!角度は 260.03°距離は 39.966kmです。象鼻山古墳からのラインと同じように、東西から10°下げてる。

 「赤岩大神」には、二匹の龍が赤い岩に姿を変えて大洪水を防いだという伝承がありましたよね。真清田神社も、龍の神社という側面がありますので、これは龍つながりということになります。ラインは真清田神社の本殿ではなく、その少し後ろ、ちょうど土壇のあたりを通ります。でも、本宮山で龍の話しは聞かないしなぁ…

 このラインは、真清田神社について、はじめて「しっくり」くるラインです。それにしても、「赤岩大神」って、そんなに古いのかなぁ? とりあえず、ここから真東(90.02°)が、元伊勢伝承候補地の「中嶋宮神社」にはなったけど…
 

真清田弘法

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 2月 9日(日)20時52分9秒
返信・引用
  日泰寺に電話したら女性が出られたので、真清田弘法について知りたいのでわかる方をお願いしますと言ったところ、しばし待たされ結局その女性から話があったものです。
女性からは龍神石があって昭和5年に寺に来たが後に返還されたと説明があり、ではその龍神石が真清田弘法なんですねと質問したところ、そうですとの答えでした。
多分女性は単なる寺の事務員に過ぎず、何も知らない中資料を元に答えたのでしょうが、龍神石が真清田弘法なんですね、との私の質問は答えを誘導している懸念があったので確信が持てなかった訳です。
もう少し聞きたいと思いましたが事務員ではどうにもならないので、これ以上突っ込まず終わりにしました。

今後について、まず真清田神社のしかるべき宮司さんから返還された龍神石は日泰寺において真清田弘法と呼ばれるもので、他に返還されるべきものはない点を確認する必要があります。
その上で日泰寺側に行き住職の方から資料を見せて頂き、龍神石が確かに真清田弘法である点を資料と住職のお話で確認しない限り、疑問は残ると思います。
現時点ではまだ完全に霧が晴れたとは言えない状況です。

ところで私も神体石級の黒水晶を持っています。
多分岐阜県の苗木か蛭川辺りで産出したもので、先祖から受け継いだものです。
もしかしたらどこかのお寺か神社から流失したものかもしれませんね(笑)
左右26cmで重量も5kgあり、白水晶なら百キロ級もありますが、黒水晶でこれだけ大きいものは多分ないように思えます。

 

真清田弘法

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 2月 9日(日)18時19分32秒
返信・引用
  日泰寺の回答は極めて興味深いです。
つまり、真清田弘法の祠の中に念持石はないということになります。まさかもぬけの殻ということはないと思うので、代用物をまつっているのでしょうか。
『真清田神社史』によれば、龍神石が置かれていたのは日泰寺の位牌堂と書かれてあり、場所が異なるのも気になるところです。

重要な案件だけに恐縮ながら1つだけ確認したいのですが、龍神石の名前を最初に出したのは日泰寺の方でしょうか?こちらから龍神石の名前を持ち出す場合、誘導的な質問になることがあるためです(私もかつて別件で失敗したことがあります。話者は、質問者の質問内容に良い意味でも悪い意味でも影響されやすいからです)
先方から龍神石の名前を出したなら、その女性の方が思い込みで答えていない限り、龍神石=真清田弘法ということで良いと思います。
日泰寺の方が持っている「資料」に何と書いてあるか、気になります。

遠山氏の記述は、他の記事を読んでいても比較的テキトウなところがあるので、古図もあまり精読して言っていないような気がします(それか書き間違えか。遠山氏の文や漢字の使い方には揺らぎがあるので)
三つ鳥居の後ろにあるのは『真清田神社史』に書かれていた北門になります。
古図=『真清田神社古絵図』なので、三明神社は西神宮寺の北の建物で、三つ鳥居手前の祠はやはり不明です。
 

真清田弘法

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 2月 8日(土)10時19分48秒
返信・引用
  龍神石はチェリーさん撮影の神池麗水と龍神信仰の解説板によれば、弘法大師が奉納したのは天然石で「水晶が白き歯の如く並んでいる龍神石」とありますので、天然水晶の群晶であるのは間違いなさそうです。
『真清探桃集』の「水精石」(長さ一尺余り、黒白相雑)は当初水晶玉にしては一尺(約30cm)は大きすぎると思ったのですが、天然水晶の群晶であれば十分あり得る話で、龍神石=水精石でほぼ間違いないと思われます。

では真清田弘法は何だろうとなりますが、日泰寺に電話で聞いてみました。
女性が電話に出られて、資料によれば真清田弘法で祀られているのが龍神石だったとのことです。
その通りなら真清田弘法=龍神石となるので、既に真清田神社側に返還されていることになります。
ただ、チェリーさんのチェック結果ではまだ真清田弘法の御開帳があるようにも感じられるので、日泰寺側の話が100%確実か何とも言えず、再確認は必要かもしれません。

遠山氏は「古図をよく見れば、壇の上のホコラの前の鳥居が三基並立して居ます。」と書いていますので、多分このホコラを三明神社だと思い込んだのではないでしょうか?
ただ古図だと、三つ鳥居の後ろに見えるのは裏門のように思われ、これを土壇上のホコラとしたようにも思えます。
推測ですが、古図の時点では三つ鳥居の手前の祠が三明神社だったのかもしれません。
 

真清田神社

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 2月 6日(木)23時14分57秒
返信・引用
  龍神石・・・弘法大師の雨乞いで落命した龍の神体石。西神宮寺所蔵で、明治時代の神仏分離で流出し日泰寺の位牌堂に移されたが、現在は返還され真清田神社境内社の八龍神社に安置される。

水精石・・・『真清探桃集』に記された神宝の1つ。龍神石と同一とされるが根拠がよく分からない。

三種の名玉・・・三明神社の神体。室町時代に社殿焼失後は本宮内陣中壇に移された。明治時代の神仏分離で流出したかどうかは不明で、今も真清田神社の本宮内にあるのか、再建された三明神社の中にあるのか、流出し所在不明なのかはわからない。

真清田弘法・・・遠山正雄氏が聞いた話では、本宮背後の土壇にまつられていたという真清田神社の神体石。日泰寺の看板では弘法大師の念持石であり、廃仏毀釈のため真清田神社の手を離れ、今は日泰寺境内の真清田弘法として安置されている。

「真清田神社の手を離れたら祟りが相次いだので、困った挙句日泰寺に持ち込まれ安置された」と語られるが、その実は「神仏分離のため流出した」という、龍神石と真清田弘法の経緯が酷似しています。
龍神石は弘法大師が奉納した石で龍の神体石ということを考えれば、真清田神社の神体石と拡大解釈できなくもありません。

ただし、この両者が同一物だとすると、龍神石は神宮寺所蔵で、真清田弘法は土壇にあったという点が食い違います。
それ以上に、龍神石は真清田神社に戻ったのに対して、真清田弘法は今も日泰寺境内に祠として祀られていて、看板の説明を信じるならおそらく今も祠の中に真清田弘法と呼ばれる石があるということになります。
現状、龍神石と真清田弘法の2つの石があるということになります。

しかし、土壇の話は遠山正雄の話からしか今のところ出てこず、『真清田神社史』には真清田弘法のことを一言も触れませんでした。古記録である『真清田宮御縁起』にも『真清探桃集』にも登場しません。同時に、真清田神社本宮の神体が何にあるかについても軽く読んだ限りでは見つけられませんでした。
陰謀論的な発想(神体なので言及が隠蔽されている的な)を抜きにして普通に考えれば、現真清田神社にとって真清田弘法なるものはキワモノ扱いと同義です。

では日泰寺からの詳細な記録は残っていないのか?さらに望むなら、遠山氏以前に真清田弘法について触れた文献はないのか?

それを探す旅に出かけないといけないようです。このテーマ、しばらく時間がかかりそうですね。
 

真清田神社

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 2月 6日(木)21時22分31秒
返信・引用
   今更ですが、真清田神社の東手水舎に説明文がありました。ちゃんと「龍神石」についても書いてある!写真だけ撮ってちゃんと読んでないというか、ピンとこなかったのか…やっぱり修業が足らない。真清田神社のもとは、「神池」だそうです。そっかー池があったんだ!池なら自然物だから、どこかからラインを引いて定められたわけじゃないんだと、一人納得しました。  

真清田弘法

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 2月 4日(火)19時25分10秒
返信・引用
  詳細な解説有難うございました。
はっきりしたのは、三明神社は本宮の西側にあり、本宮背後の社は摂社だが不明と言うことですね。
社の背後に三の鳥居があるのは妙ですが、社を本宮の荒魂を祀ったものと考え、社の背後にある三の鳥居は土壇を三輪山に見立てて祀ったものと推測されます。
平成5年再建の三明神社がなぜ本宮の荒魂を祀るのか理解できなかったのですが、上記のように考えれば多少は筋が通りそうに思えます。

別当境内神宮寺所有の龍神石は該寺廃寺の為に撤去され、真清田神社が保管していた神宝類のうち、仏教色がある経文・掛軸・仏舎利なども流出したのですから、お寺と三明神社(実際は本宮内?)にあった宝珠も流出し、二つの宝珠が奇しくも日泰寺に納められたのでしょうね。
しかし…、龍神石と真清田弘法の話が酷似している以上、龍神石=真清田弘法となる可能性も高そうです。
仮に二つあるとして、一つしか真清田神社に返さないのも筋が通りませんし…。それにしてもややこしい話です。

「昔は社の後ろに三の鳥居があり、後世悉く亡びて今は僅かにその遺跡が残るといい、」の遺跡は文脈からして社と三の鳥居の礎石が残ったと言う意味でしょう。
日泰寺側の資料を追えば、少なくとも龍神石と真清田弘法は同じか否かは判明しそうに思えます。

物部神社の詳しい説明有難うございます。要石は閃緑岩ですか。深成岩に属する花崗岩の親戚みたいな岩盤がなぜ名古屋市内にあるのか不思議です…。

http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/

 

真清田弘法

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 2月 3日(月)22時11分32秒
返信・引用
   祠がふたつあるのは、もともとこの地でお祈りされていた「難陀」「跋難陀」の二大竜王の祠なのでしょうか?真清田弘法には「竜」の信仰がぴったりと重なっているのでしょうか。

 本当に呑み込みの悪い素人なのですが、真清田神社にも、同じように「竜」の信仰がぴったりと重なっているように思えるのですが…合祀とかじゃなくて…真清田神社という場所に、出雲の神様?を祀る人々もいれば、全く性格の異なる「竜」を祀る人々もいて、それぞれの人々が「真清田神社の御神体」と呼ぶものが別々にあったのに、後にごっちゃになっちゃって…というような感じがするのですが…
 真清田神社の位置は、それほど素晴らしい場所で、それは…と説明できればよいのですが、これがさっぱりわからない!候補としては「伊吹山」と「猿投神社東之宮(猿投山の最高点)」を結んだ直線上に近いのですが、境内は通るけど、南の方になってしまうのでした。
 

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