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Re: 真清田神社の神体石と真清田弘法

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 8月18日(月)20時19分31秒
返信・引用
  > No.1166[元記事へ]

MURYさんへのお返事です。

ご寛容ありがとうございます。最後の手段は真清田弘法の関係者に祠を開けてもらうしかなさそうですね。

チェリーさん

「尾張氏とヤマトタケル」シリーズ拝見させていただいています。記事には色々知らない場所が出てきて、特に各務原は面白そうですが、まだ行ったことがありません。ただ、チェリーさんが取り上げた伊木山と八木山はどちらも伊福部氏に関連する山名のように思えました。

各務原には伊吹の地名があり伊木はその転訛と考えられ、伊木山の麓には八龍神社があって、伊福部氏を連想させる鍛冶遺跡もあります。八木も伊福部の別名である五百木(いほき)が養基、結城、八木に転訛したものと思われ、美濃の結城神社は伊福部氏が関係しています。揖斐郡池田町には伊福郷があり養基(やぎ)神社が鎮座し、八木大明神と呼ばれていたそうです。

MURYさんが伊波乃西神社について紹介されていましたが、神社の西側にある岩は宮内庁により彦坐王の陵墓と認定されています。ここで彦坐王の名前が出るのは大きな意味があるものの、実際の被葬者は伊福部氏だと推定します。伊福部氏は出雲、因幡、美濃に多く分布し、美濃が111例、出雲が36例、因幡が28例と美濃が飛びぬけており、美濃の中でも山県郡三井田里(山県市高富町)が87例で突出しています。さてそこで、伊波乃西神社は江戸時代岩西神と称されていました。この名前に伊福部氏が関係しないかチェックしたところ、山県市に岩西の地名があると判明。これらの状況証拠から伊福部氏の陵墓と推定したわけです。

伊福部氏の視点から各務原を見るとまた違った風景が展開するかもしれません。「尾張氏とヤマトタケル」に関連してもっと続けていただければと期待しています。それと、各務原の豪族は村国氏ですが、正倉院にある御野国山方郡三井田里戸籍(大宝2年、702年)には三井田里戸籍の五百木部君木枝と村国奥連小竜売の婚姻が記載されています。涼しくなったら現地でじっくり調べたいところです。
 
 

うーん

 投稿者:あんでっど  投稿日:2014年 8月17日(日)23時29分56秒
返信・引用
  例の一覧、凄いですね(笑)
全然知らないものもあるので、それはそれで興味深いのですが。
 

Re: 真清田神社の神体石と真清田弘法

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 8月17日(日)23時01分39秒
返信・引用
  > No.1163[元記事へ]

MURYさん・酔石亭主さん

 私もその後はSTOPです。
 真清田弘法の管理人の方を見つけるしか、方法がないような気がしています。

 MURYさん、まとめていただいて、ありがとうございました。やっぱ、すごいボリュームになりますねぇ。

 私としましては、日泰寺境内の池にも、ポイントがあると思っています。

 日泰寺を訪れた三人の女性が龍神石のいわれを知って、境内の池に浮かぶ小島に神殿を造営すべく東奔西走し、完成後にそこに手厚く祀られるようになったという、その池です。

 中経の文庫「彩色絵はがき・古地図から眺める 名古屋今昔散歩」の150・151ページに載っています。日泰寺の本殿と奉安塔・征清記念碑との間にあった池です。小島に何か乗っていると思います。
 道路を通すために、大きく埋め立てられちゃった!少し残ったのですが、小島の部分は道路になっちゃったのです。(現在は残りの部分も埋められて、駐車場になっています)

 吉田初三郎氏の鳥瞰図「観光の名古屋市とその付近」昭和8年(1933年)3月30日名古屋市役所発行が、一番よくわかります。小島(二つ?)らしきものと、(片方に)何かがその上に乗っているのがわかります。祠かもしれないです。

 その小島が無くなっちゃった…道路ができた時期がわかれば、埋め立てられた時期がわかります。

 国土地理院発行の5万分の1「名古屋北部」明治24年及び昭和12年測図 昭和22年修正測図 昭和39年資料修正(道路・鉄道行政) の地図には、道路はありません。ですが、同じく「名古屋北部」昭和37年測量 昭和41年資料修正 の地図には、道路があるのです。

 昭和39年から昭和41年の間に道路ができて、小島はなくなってしまったと思います。

 「龍神石」は、真清田神社に帰る前に、どこにあったのでしょうか?

 その謎にも、ひとつポイントがあると思います。


 
 

Re: 真清田神社の神体石と真清田弘法

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 8月16日(土)18時47分50秒
返信・引用
  > No.1165[元記事へ]

>酔石亭主さん

いえいえ。ご覧くださりありがとうございます。
約100年前の歴史を埋める作業になります。
また何か新しく文献や情報を見つけられましたら、教えてください。
 

Re: 真清田神社の神体石と真清田弘法

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 8月14日(木)20時26分28秒
返信・引用
  > No.1163[元記事へ]

MURYさんへのお返事です。

すみません、「真清田神社江戸時代の神宝と流出」はすでにチェックされていたのですね。
暑さで頭が全く回らずお恥ずかしい次第です。
 

Re: 真清田神社の神体石と真清田弘法

 投稿者:酔石亭主  投稿日:2014年 8月14日(木)20時17分28秒
返信・引用
  > No.1163[元記事へ]

MURYさんへのお返事です。

纏めの記事は問題点がわかりやすく浮き彫りになっていますね。
この謎をさらに調査したいとも思っていますが、ほかに追及したい課題があってなかなか果たせません。

実は、「真清田神社江戸時代の神宝と流出」という本があり、一宮市図書館ホームページでチェックしたところ7階郷土資料のA177/8cに置かれています。
この本を見ればひょっとしたら最終解決になるかもしれません。

もし時間が許せば見ていただけると有難いのですが…。



 

真清田神社の神体石と真清田弘法

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 8月13日(水)02時10分58秒
返信・引用
  真清田神社の神体石と、覚王山日泰寺の真清田弘法にまつわる一連の検討をレポートにまとめました。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~megalith/masumida.html

チェリーさんと酔石亭主さんのご投稿も大いに参考にさせていただきました。
現状での報告になりますが、今後の新展開に向けてアンテナは引き続き張っていきたいと思います。
 

Re: 山姥伝説

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 7月19日(土)10時01分39秒
返信・引用
  > No.1161[元記事へ]

MURYさんへのお返事です。

いえいえ、とんでもございません。

 この方の「山たまごの東海岳行」というサイトの2014年3月12日(水)の記事「継鹿尾山」も、またおもしろい!
 どうも、この犬山周辺の低山を知り尽くしている方がみえるようです。

 このあたり、どれだけ信仰の跡があるのか、わかったものではないようです。

 

Re: 山姥伝説

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 7月18日(金)00時24分42秒
返信・引用
  > No.1160[元記事へ]

チェリーさんありがとうございます。リンク先読みました。

とてもおもしろい、いや、凄味のある場所を知ることができ感謝します。

相澤山の山頂までは私も登り、そのまま東の尾根沿いに歩きましたが、南側斜面にあるという廃屋と岩窟は気づきませんでした。

本宮山南斜面の山姥の洞穴とやらも、これまた普通の登山者は誰もいかないような場所にあるものですね。
鷲岩・砥石・杖石の踏査も含めて、10年ぶりに本宮山・相澤山巡りを考えたくなりました。

今日UPした尾張富士も、山頂付近の鎌岩があるなんて、聞いたこともありませんでした。
数十年で人の意識は変わり、歴史は断絶するようです。
 

山姥伝説

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 7月17日(木)22時20分52秒
返信・引用
   尾張本宮山の頂上には登ったことがあるのですが、MURYさんが取り上げているように、その南西に連なる「相澤山」に行ってみなければならないようです。
 この地域の「山姥伝説」を少し調べていたのですが、次のサイトを見つけました。

「本宮山伝説」www.geocities.jp/tokaigakko/page-307.hongu.okugu.html

 「山たまごの東海岳行」というサイトのページのようですが、とても、興味をそそられるというか、これは行ってみないと、思ったことでした。涼しくなってからですが…
 

Re: 郷土史家さんと知り合いたい!

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 7月 6日(日)23時13分54秒
返信・引用
  > No.1158[元記事へ]

六所神社の話、良い話ですね、
まさに現代民話収集だと思います。
石材地が白蛇の住処というなら、すでに岩石信仰の範疇です。
昭和15年も立派な歴史です。

ネットならでは出てくる情報と、もちろん出てこない情報があります。
どれがどうと卑下したり持ち上げたりするのではなく、ネットと本と現場と聞き取りの4本柱(まだあるかな?)をどれもバランス良く摂取していくのが良いですね。
 

Re: 八王子山

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 7月 3日(木)23時32分35秒
返信・引用
  > No.1154[元記事へ]

宗健行者の話、読ませていただきました。

http://www.town.mitake.gifu.jp/hanasi/story21/story21_13.html

御獄教太平講が育んできた民話というのがポイントだと思います。

http://kaikikou.blog135.fc2.com/blog-entry-12.html

このページによると、愛知県太平教会という組織がかつてあったようです。

御嶽教の教義に親しまないと、うかつなことは言えませんが、話の半分は地元民俗と混然しているような雰囲気です。

各地に、表舞台の歴史では語られることのない講が無数に存在していて、それぞれが独特の世界観を作っていました。
これを一般論や教科書的な知識だけで、ある意味高所から語ることは無茶であり、これを掘り起こす郷土史家・民俗学者の出番が待たれます。
 

Re: 八王子山

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 6月23日(月)22時35分44秒
返信・引用
  > No.1155[元記事へ]

 時空少女さん、ありがとうございます。

> 天橋立がよく見える成相山(標高569m)の山腹に成相寺(なりあいじ。京都府宮津市成相寺339)があります。ご本尊は聖観世音菩薩で、五重塔の北側に「底無の池」があり、左甚五郎が彫刻のモデルとした龍がここに住んでいると伝えられています。

 池があるのですね! 龍が住んでいるのですね! 面白いです。

 全く無茶苦茶な話ではなくて、何か元になっている事があるようですね。

 八王子山というのは、全然目立たない山で、何でここにこんなお話が伝わっているのか、不思議としか言いようがないのでした。


 
 

八王子山

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 6月18日(水)22時15分59秒
返信・引用
   標高290m 岐阜県可児郡御嵩町です。ご近所です。
 山頂に八王子神社が鎮座します。山中、山麓に神社・寺院が複数あり、昔からとても気になっていました。で、行ってみたのが去年の秋でした。
 山中に露岩が多いです。上の写真は稜線の岩石です。小さな燭台が見えるでしょうか?
 真ん中の写真が「八大竜王」の場所です。少し庇のある岩壁です。私、これにそっくりな場所を見たことがあります。鳳来寺山の「利修仙人護摩所」です。それの小型版ですねぇ。庇の下に小さな石仏が見えますでしょうか?
 不思議な説明板がありました(下の写真)。長くなりますけど、記します。

宗健行者由来記
丹後の国成相山の裏山夜叉谷に天龍大蛇を以て信仰致し京都諸方坊と巡り合いこの里に参り其の時今より四七〇余年前此の里大旱魃(かんばつ)にて二年の間ものも取れず、そこへ来た行者は寺に参りその事を住職より聞きそれを行者の身を以て一心に八大龍王を信仰し二十一日断食を以て八王子権現に参拝した時里の者も二十一日間水をもって身を浄めて権現に一心ふらんに祈願をかけ心願が成就した。
それ故喜んで山を下り住職の部屋で一週間体を休めそこを八月十五日に立ち住職に申し厄介になった御礼として仏像を其の寺に残しおいた。
歳月重ねて所は上州赤城山の裏の信龍池に参り七十七歳にて其の身を其の池に沈めた、是行者は龍を心願したるに付赤城大権現となって祀ってある、この後婦人の病気が多いためこれを信仰いたせば婦人の病と腰より下の病気に守護がある命日■此の地を立った八月十五日である。
昭和二十七年八月十五日御嶽教太平講の■■書

 何が不思議かというと、文中の「丹後の国成相山の裏山夜叉谷」「赤城山の裏の信龍池」「赤城大権現」のいずれも、検索しても、なんにも出てこないのです!

 さっぱりわからないのでした。
 

Re: 磐座調査

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 6月10日(火)02時59分50秒
返信・引用
  > No.1152[元記事へ]

もしかして、湖西市の神座古墳群でしょうか?

http://www.city.kosai.shizuoka.jp/secure/10132/%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%81%A8%E7%A5%9E%E5%BA%A7%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4.pdf

岩巣という名前で呼ばれているようです。
去年、駒澤大学の方とお話しする機会があり、ここの存在を教えていただきました。

表採調査はしていると思うので、それで見つからないということは、地中に埋もれている可能性も低めではあります。
渭伊神社境内遺跡は、表採遺物から発掘調査に結びついた場所でしたからね。

“遺物が見つからないから、岩石信仰の場ではないのか”
それはイコールではありませんが、考古学的な見地で行く限りは、物質的痕跡なくして歴史を語れません。
 

Re: 奇岩百景

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 6月 1日(日)01時26分32秒
返信・引用
  奇岩巨石磐座ニュースのヘビーユーザーである私としたことが、見逃してしまいました。

残念!
 

奇岩百景

 投稿者:あんでっど  投稿日:2014年 5月31日(土)13時09分56秒
返信・引用
  一応発信していました。仮称でしたが。
https://twitter.com/stonenews/status/422032533048406016

応募は終わったようですね。
http://geopark.jp/gupi10/
 

Re: 石山

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 5月30日(金)00時12分53秒
返信・引用
  > No.1148[元記事へ]

西側の地山を開発で無理やり削った感じの岩肌ですね。ありがとうございます。

> 現存する古墳からラインを引いて満足してる場合ではないような気がしました。

まさにそうですね。ただし正確なポイントをおとすのは至難の業かもしれません。

「ある」古墳と「ない」古墳の視点。
「傾向に沿う古墳」と「傾向に沿わない古墳」の視点。

分析量が2倍になりますが、ぐうの音も出ない説がつくれそうです。
 

Re: 石山

 投稿者:チェリー  投稿日:2014年 5月27日(火)23時22分26秒
返信・引用 編集済
  > No.1147[元記事へ]

>それらしき平べったい露岩は見かけたでしょうか。

 それは見なかったですねぇ。西の端は、大きな岩の斜面で終わっていましたので、それのことかなぁ?(写真の岩)八畳よりはるかに大きかったですけど…

 「蘇南の創庫」というサイトを少し拝見しました。消失した古墳が多いのですねぇ。
 大須二子山古墳の位置を調べてるときにも思いましたが、現存する古墳からラインを引いて満足してる場合ではないような気がしました。
 

Re: 石山

 投稿者:MURY  投稿日:2014年 5月27日(火)01時29分29秒
返信・引用
  > No.1146[元記事へ]

『那加町史』を読むと、石山の西麓に八畳岩という岩があるそうで、名前からして広大な露岩を彷彿させます。
東が登り口で、西が体育館で行き止まりということなので、八畳岩は学校などの施設内に取りこまれているかもしれませんが、それらしき平べったい露岩は見かけたでしょうか。

別件ですが、真清田神社の「土壇」「三明神社」「地中を掘って出たもの」「古墳」といったキーワードにおいて、興味深いページを見かけました。
http://sonan.rakugan.com/bunken/ichinomiya2/ichinomiya2.htm

良いですねえ、こういう純"資料"然とした情報発信で、主観を入れないweb作り。
エバーグリーンな資料性があります。
私は、探訪レポをこういうテイストで作りたいという憧れがあります。

犬山市の岩神古墳が、古墳石室の奥壁を岩神として江戸時代にまつっていたと書かれてあります。
古墳石室石材を後世岩石信仰の場として利用した。この視点も持っておきたいものです。
 

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