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Re: ご無沙汰しております

 投稿者:MURY  投稿日:2016年12月 5日(月)00時09分35秒
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  > No.1250[元記事へ]

拝ヶ石の一連の記事に関して勉強させていただいていました。
あの一帯、伐採されて景色も一変しているみたいですね。

「しかし、いずれにしても古代人は石に対して特別な関心を有していたことがうかがえる」

昭和51年の看板にしてこのセリフ。

各地を訪れると、説明板や博物館のパネルなどにときどきこのような記述を見ることがあります。

総数にすると結構な量を見たことがあるのですが、こういう石の関心がメジャーな共通認識として人々の話題に挙がることはありません。

不思議だなあと。

みんなの個々人の心に眠っているものだとしたら、掘り起こしたいですね。
そんな思いでやっています。またよろしくお願いします。
 
 

ご無沙汰しております

 投稿者:辰まる  投稿日:2016年12月 2日(金)17時58分54秒
返信・引用
  たいへんご無沙汰しております。以前HP“古代の足跡in熊本”を
開いていました辰まるです。その節はお世話になりました。

再開されたこちらのブログをときおり拝見していましたが、
投稿記事“天白遺跡”に目が止まりました。
そういえば似たものがあったと、昔撮った写真を探し出しました。

熊本県指定史跡の無田原(むたばる)遺跡といいます。
原を“ばる”と読むのは九州地名には多いです。

MURYさんが仰るように、もう空想するしかないのですが、
集石の並びがオリオンの三ツ星にも見えて、昔懐かしムーイズムが
ちょっと頭をもたげます。

 

Re: 天白遺跡

 投稿者:MURY  投稿日:2016年11月10日(木)23時24分28秒
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  > No.1248[元記事へ]

私の甥っ子が、石を拾っては落とすのが好きだったのですが、その時の落ちた石の状態にも似ていて(スケールは違いますが)思い出しました。

縄文時代は、もう、空想するしかないですよね。

こんなに配石を何ヶ所も作って、何をしたかったのか・・・
一度に造ったではなく、数百年の開きがあるのかもしれませんけど。

土器に石で蓋している事例とか、個人的には想像の飛躍が止まりません。
 

天白遺跡

 投稿者:uzi  投稿日:2016年11月10日(木)21時10分40秒
返信・引用
  今年7月、松阪にある天白遺跡に行ってきました。
石を環状に並べたものは磐境か!?
石を円形に敷き詰めたものは磐座か!?
御饌石の可能性もあるかなぁ。
と、色々と楽しい想像をしておりました。

http://www.geocities.jp/miniuzi0502/index.html

 

Re: 明日香の岡寺

 投稿者:MURY  投稿日:2016年11月 1日(火)01時21分26秒
返信・引用
  >龍蓋池

これは初めて知りました。
私が行ったときは、この情報に接することができませんでした。

>龍を閉じ込め岩で蓋をした

鳥取県の赤猪岩神社を何となく思い出しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%8C%AA%E5%B2%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE

昨日は、岐阜県関市の日龍峰寺という、美濃高野山とも美濃清水寺ともいわれる寺に参りましたが、ここも龍を退治したという伝説がありました。
斜面に露出した岩盤の上に懸け造りの堂宇を築き上げているのですが。
 

明日香の岡寺

 投稿者:uzi  投稿日:2016年10月30日(日)18時02分38秒
返信・引用
  先日、うん十年ぶりに明日香の岡寺へ参拝しました。二回目の西国三十三霊場巡りです。
まったく記憶に無かった龍蓋池をチェックしてきました。池に龍を閉じ込め岩で蓋をしたという伝説があります。
注連縄で囲まれた岩がそれです。(蓋というより栓のように見えますが。)岡寺は龍蓋寺ともいわれます。
奥の院石窟もチェックしました。こちらもまったく記憶になかったです。

http://www.geocities.jp/miniuzi0502/index.html

 

Re: MdN

 投稿者:MURY  投稿日:2016年 9月15日(木)23時19分58秒
返信・引用
  > No.1244[元記事へ]

kk458遖さん、ありがとうございます。
コラムを書いた吉川です(MURYは昔から使っているハンドルネームです)

「君の名は。」に出てきた御神体は何だったかは、作品の中でははっきりとは説明されていません。それこそ、彗星・隕石との関連性さえ。
だからこそ、想像の余地が広がって良いのだと思います。

作品の中で説明されていないだけで、水面下の設定はあったと思います。あれだけのモチーフをちりばめた内容ですし、祭祀の観点から見ても、矛盾が少ないんですよ。
裏設定なしで考えなく作ってしまったら、粗が出るものですから。

そういうことを踏まえて、読まれた方によって色々異なることを感じていただけるように文章を作ってみたつもりです。
よかったと感想をいただけて嬉しいです。

> 彗星も、石ちゃー、石だし、
> 元はチリで、その塊ですからねー、
> 地球も、石っぽいですかねー、

核心をついているかもしれませんね。
 

MdN

 投稿者:kk458遖  投稿日:2016年 9月15日(木)13時47分7秒
返信・引用
  お世話になります、
映画「君の名は。」から、こちらに、たどりつきました。映画??隕石??クレーター??御池山クレーター??隕石??神社??星宮社??祭り??MdN??ここ、
コラム、よかったです、
著作も、機会が、あれば、拝読します、
大変、勉強に、なります、
彗星も、石ちゃー、石だし、
元はチリで、その塊ですからねー、
地球も、石っぽいですかねー、
ありがとうございます。
また、
 

Re: 石棒と神社の神体の関係

 投稿者:MURY  投稿日:2016年 7月 3日(日)23時20分43秒
返信・引用
  > No.1241[元記事へ]

古墳の石室、石棒、銅鐸など、古代の遺物が、後世にその本来の用途とは別の意味合いを持って再利用されたことはいくつかの事例で見られます。

これらの事例の多くは、再利用にあたって原位置から移動されていたり、加工されていたりします。原位置や元来の状態が崩されると、考古学的には研究しにくいようです。
原位置を保ち、歴史の連続性が認められる事例に出会えると、それが解明の糸口になると思います。
 

Re: 石棒と神社の神体の関係

 投稿者:石が好き  投稿日:2016年 7月 3日(日)12時37分12秒
返信・引用
  > No.1240[元記事へ]

お返事と情報、ありがとうございます。
神社の起源を古墳時代として、
それ以前の祭祀とは断絶しているのか、
それとも何らかのつながりがあったのかを知りたいと考えております。

石棒と神社の関係が何らかのヒントになると思いましたが、
その関係は神社による石棒の秘匿などによっていまのところ難しそうですね。
 

Re: 石棒と神社の神体の関係

 投稿者:MURY  投稿日:2016年 7月 1日(金)00時05分57秒
返信・引用
  > No.1239[元記事へ]

お返事が遅くなりました。
ご投稿ありがとうございます。

神社に安置された石棒をテーマに研究された例は、今まで見たことがありませんでした。解明したい問題提起ですね。

> 江戸時代末期製作の石棒について書かれています(p85)。

埼玉県の大戸のお聖様ですね。
たとえば同じ埼玉県上里町に石神社という場所があって、ここも石棒をまつっています。
由来は

> 『風土記稿』では、烏川から引き揚げた石剣(石棒)を祀って鎮守としたことによる地名と伝える。
http://893ginger.blog55.fc2.com/blog-entry-130.html

これを読む限りですと、石棒が神社に自然発生したというよりも、後世に石棒を見つけてまつったようです。
後世に拾い上げた人は、それがいつの時代のものかは知りませんから(縄文時代という概念がない)そこに関連性は認めなくても良いでしょう。
石棒に限らず、石の矢じりなども江戸時代に石の好事家が採集していて、神の落とし物や天狗の鱗だと呼んでいたことが木内石亭の『雲根志』に書いてあったと思います。

ただ、すべてがこのパターンと思う必要はないと思います。
私は神社ごとに石棒をまつる背景は違ったのではないか?という立場ですが、各事例ごとの知識が私にはまだ足らないのと、石棒が秘匿されている神社が多い都合上、判断する情報が出回っていないのが現状です。

 

石棒と神社の神体の関係

 投稿者:石が好き  投稿日:2016年 6月21日(火)18時29分3秒
返信・引用
  はじめて投稿します。

貴書『岩石を信仰していた日本人』を面白く拝読しました。
本書には人間の手で作られた信仰対象として、
江戸時代末期製作の石棒について書かれています(p85)。
石棒と神社の神体の関係についてお伺いします。
初歩的な疑問で申し訳ありません。

貴ブログには、奈良県三輪山の磐座、福岡県沖ノ島の磐座、島根県大船山の石神など、
自然石を神の座る場所や神そのものとしてまつる遺跡が各地で見つかっていることから、
自然石への信仰時期を古墳時代前期と述べられています(2016年3月3日)。

古墳時代前期の自然石信仰が、
後の「磐座」として神社の発生につながったと考えられると思います。
「磐座」は古墳時代前期以前の、
弥生、縄文、旧石器時代と直接のつながりを現在のところは見出せないということになると思います。

そうすると、縄文遺物としての石棒が、
現在、「磐座」を起源とする神社の神体として多く祀られている理由が分からないことです。
縄文の石棒が耕作などによって、後年掘り起こされて既存の神社に祀られたのか、
それとも縄文の石棒が後年掘り起こされたために、
それを神体とする神社が建立されたのか。

縄文の石棒が掘り起こされた時期、
それが神社に祀られた時期というのは解明されているのでしょうか。
神社の起源を古墳時代とすると、なぜそこに縄文遺物としての石棒が、
神体として祀られているのかが不思議でなりません。

もうとっくに解明済みの問題なのかもしれませんが、
よろしくお願いいたします。
 

Re: 結界石

 投稿者:MURY  投稿日:2016年 6月 5日(日)22時22分34秒
返信・引用
  > No.1237[元記事へ]

ありがとうございます。

目新しい事例です。

磐境ですね。空海の聖跡つき。

わたしは、古墳の葺石も、境内の玉垣も、磐境の仲間だと思っています。

人によっては、抵抗感があるかもしれませんけど、名前にこだわらず機能で考えれば腑に落ちるかなと。
 

結界石

 投稿者:uzi  投稿日:2016年 6月 5日(日)05時33分57秒
返信・引用
  叡福寺(大阪府太子町)にあります。
聖徳太子の御廟所(円墳)を囲んでいます。
内側の列石は空海が一晩で作ったという伝説もあります。
磐境の仲間といえるでしょうか。

http://www.geocities.jp/miniuzi0502/index.html

 

主坐のいわくら

 投稿者:MURY  投稿日:2016年 4月28日(木)21時06分36秒
返信・引用
  椿大神社の拝殿向かって左手に、大きめの社務所があって、なかに誰でも入れるようになってます(休憩所的な)
赤じゅうたんが敷いてあります。その入り口に本が平積みされていて、そこにありました。
私もそこで偶然見つけました。売り切れていることはないと思いますが、今後行かれる時はご参考に。
 

(無題)

 投稿者:チェリー  投稿日:2016年 4月27日(水)23時11分55秒
返信・引用
   購入したかったけど、わからなかったんです。残念!売り場の人に、もっとよく聞いてみればよかったなぁ…

 でも、MURYさんの昔の記事に「鈴鹿山脈/登山日記」 内「入道ヶ岳・磐座めぐり 」のページを紹介してみえたので、それは見てました。それで、天狗の遊び場から崩落地帯を覗いてみたんですが、上の方はとても見えなくて(上の写真)、「主坐のいわくら」はわかりませんでした。

 ここから道を引き返さないといけないと思っていたのですが、道が上に続いていたのです。とても新しいテープが道沿いにいくつも巻かれていたので、思い切って登ることにしました。ほどなく「境界」の印がありました(真ん中の写真)。崩壊地帯の縁を巻いていく道のようでしたが、やがて道がわからなくなって、結局南から登る登山道に合流しました。

 縁を歩いている時に谷を覗けば「主坐のいわくら」が見えたのかもしれませんが、道を拾うのに集中して、余裕が持てませんでした。また次回ということですねぇ~

 下の写真は頂上の鳥居と雨乞岳・鎌ヶ岳・御在所岳です。樹木が白っぽくなっているのは、馬酔木の花です。満開でございました。
 

Re: 天狗の遊び場(イシグラ)

 投稿者:MURY  投稿日:2016年 4月27日(水)00時33分47秒
返信・引用
  > No.1233[元記事へ]

椿大神社の社務所で売っている、遠山正雄氏の入道が岳の磐座の冊子「伊勢一宮 椿大神社 神代『いわくら』について」は買われましたか?

山頂から南東へ延びる2本の尾根の間には「オホハゲ」と呼ばれる大崩落箇所があるそうです。
この「オホハゲ」の直上に位置し、2本の尾根の合流点かつ山頂のやや下ぐらいの位置に「主坐のいわくら」があるそうです。
なにかご存知ですか?

「いしぐら」と「いしごう」の中間に位置し、なおかつ、椿大神社から仰いで真正面の最高地点に存在する点から、遠山氏はこれを「このお山全体のイハクラの主座」と思うのだそうです。
 

天狗の遊び場(イシグラ)

 投稿者:チェリー  投稿日:2016年 4月26日(火)21時04分33秒
返信・引用
  入道ヶ岳への登りに寄りました。井戸谷道の途中から分岐する道なのですが、私はGPSを持って歩いたから見当がつきましたが、分岐点を見つけるのは難しいと思うなぁ…

上がイシグラの写真、真ん中がそこから下を覗いた写真です。絶景です。
実は、そこからこの方向にラインが引けたのです。ここから東南に加佐渡神社、白鳥塚からここが北西だったのです!岩石を基準としてラインが引けるのは珍しいことです…と、相変わらずこんなことばかりやってるわけなんです…

下の写真は入道ヶ岳の頂上から見た「奥の宮」です。「奥の宮」の位置が知りたかったのです。
「奥の宮」は、背後にわずかに覗いた山を意識した位置に設けたように思えました。
その山は「雨乞岳」でした。鎌ヶ岳や御在所岳があんなに近くに立派に見えるのに、何でちょろっと見える雨乞岳なの?しかしながら雨乞岳は鈴鹿山脈第二位の高峰なのです。

ということは、椿大神社の本当の母体は「雨乞岳」かもしれない…というブログを造るつもりですけど、出来たらお知らせしますね!

 

沖ノ宮の立石

 投稿者:山魚  投稿日:2016年 4月17日(日)09時31分17秒
返信・引用
  『茨城県史料 考古資料編 古墳時代』はかなり以前にチェックしております。
私の見落としかもしれませんが、それらしき記述は見当たりませんでした。
巨石のある祭祀遺跡のデータは数少ないので、削除するのも躊躇するところです。
『神道考古学講座』祭祀遺跡地名表に敬意を表して、
詳細不明としてリストには残したいと思います。
 

ほ場整備?

 投稿者:MURY  投稿日:2016年 4月17日(日)00時39分36秒
返信・引用
  いばらぎデジタルマップの遺跡の位置と大曽根児童館はズレが出ますね。
道の走り方を見ていると、この辺りはほ場整備されたような感じです。
ほ場整備時に、古墳と祭祀遺跡が見つかって、削平あるいは埋め立てといったところでしょうか。
ちなみに、沖の宮遺跡は国立歴史民俗博物館の祭祀遺跡地名表には出てきません。

奈文献の遺跡データベースによれば、
http://mokuren.nabunken.go.jp/Iseki/index.html

大曽根沖の宮遺跡
茨城県つくば市大曽根沖の宮1704ほか
県遺跡地図2001、包含地。<現況>山林+水田+宅地。

大曽根立石古墳
茨城県つくば市大曽根沖の宮1735ほか
県遺跡地図2001、古墳。古墳-古墳。<現況>畑。

ということで、現地には残っていない可能性大です。
文献記録上で、辿って行くのが望ましいと思います。
(先日挙げた『茨城県史料』など当時の調査記録)
 

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